すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


石田(いわた)の森(京都市伏見区)




万葉時代は「石田の小野」として景勝地であったようだ。


山科石田の小野のははそ原見つつや君が山道越ゆらむ 藤原宇合(万葉集)
 (私訳)山科の石田の小野の森を見ながら、今ごろ君は山道を越えてるのか 


山科区石田森西の天穂日命神社に歌碑


そして、この歌を本歌として後世、さまざまな歌が詠まれている。


ひぐらしの涙やよそに余るらん秋と石田の森の下風 順徳院


山科区石田森西の天穂日命神社に歌碑



秋ふかきいはたのをののははそ原した葉は草の露やそむらん 藤原家隆


柞ちるいはたのをのの木枯しに山路しぐれてかかる叢雲 続古今和歌集


誰にかもいはたのをのの秋の月ひとりはあかぬ山路越え行く 三条西実隆


霧はれてあすも来て見んうづら鳴く石田の小野はもみぢしぬらん 順徳院


秋といへばいはたの小野のははそ原時雨もまたず紅葉しにけり 千載和歌集


時雨するいはたの小野の柞原朝な朝なに色かはりゆく 大江匡房(玉葉和歌集)



こんなかんじで、中世まで多くの歌人に詠まれた第一級の歌枕の地であった。

ところが江戸時代の都名所図会には、
 石田杜 は醍醐の南にあり。石田社は民家の中にあり。天照大神・日吉山王を祭る、此里の氏神とす。
(和歌には石田の小野と詠ず)
と、素っ気ない。
江戸時代には景勝地としての石田の森はなくなっていたようだ。
そして「石田の社」として民家が並ぶ中に祀られるようになっていた。

ただし、現在ではそれなりの森が形成されるようになり、名勝・石田の森の名に恥じない史跡の姿になっている。

こんなかんじ。

こんもりとした森が「石田の森」の現在の姿。




森の中に鎮座する社は延喜式の天穂日命神社と比定されている。




一方、森の回りは一般的な都市の風景であった。




これも。










「森」関係の旧蹟が現在まで残るのは難しいです。





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