すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


 泉大津(大阪府泉大津市)



 
「伊勢物語」の関連本を借りに図書館へ行ったところ、『新潮古典文学アルバム』では「伊勢物語」と「土佐日記」が一冊の本にまとめられていた。


「土佐日記」では、京都から土佐の国守に赴任するときに連れて行った娘が土佐で亡くなり、京都に帰るときに亡くなった娘を連れて帰ることができず、嘆く歌を数多く詠んいる。


泉州沖にて

寄する波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝降りて拾はむ 
(土佐日記 紀貫之)
<打ち寄せる波よ、どうか忘れ貝を打ち寄せておくれ、死んだあの子を
忘れるために浜に降りて拾うから。>



その頃、泉州の岸辺には、ものを忘れる「忘れ貝」があると信じられていた。





船が進んで住吉沖にかかった時にも、同じような歌を詠んでいる。

住の江に船さし寄せよ忘れ草しるしありやと摘みて行くべく 
(土佐日記 紀貫之)


泉州に「忘れ貝」があり、住吉に「忘れ草」があったようだ。




               *********




さて、大阪府の泉大津は昔「小津(おづ)」と呼ばれ、同じく土佐日記で紀貫之は小津の湊に停泊し、岸の松原がはるかに続いているのを見て次のように詠んでいる。


けふ、からくして、いづみのなだより小津のとまりをおふ。まつばら、めもはるばるなり。これかれ、くるしければ、よめるうた。
行けどなほ行きやられぬは妹(いも)がうむ小津の浦なる岸の松原
(土佐日記 紀貫之)






また、泉大津は「おきつのはま」とも呼ばれ、和泉の歌枕であった。

君を思ひおきつの浜になくたづの尋ねくればぞありとだに聞く 
(古今和歌集 藤原忠房)

<(私訳)藤原忠房が、和泉にいた紀貫之のことを気になって、おきつの浜にやってきたら案外元気だった>


       
        大津川の河口

       
        西の方を望む。明石海峡が見える

       
        大津川河口で釣りをした。夜8時まで。ボーズだった。



            *********
 


       
        現在の南海電鉄の泉大津駅前


                         







大津川の河口にタチウオやタコを釣りに行きます。





copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 〜すさまじきもの〜 all rights reserved.