すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


泉佐野(大阪府泉佐野市)





 秋風の寒き朝明(あさけ)佐農の岡越ゆらむ君に衣(きぬ)貸さましを 山部赤人(万葉集)
秋風が寒い朝、佐野の岡を越えていく君に上着を貸してあげればよかった


 この「佐農」の場所について、和歌山県新宮市の佐野(狭野の渡り)とする説もある。
ただし万葉集に収録されている山部赤人の歌の配列から、「佐農」は泉佐野が地理的に妥当なところだとされている。

【万葉集】
 357 縄(なは)の浦(兵庫県相生市)
 358 武庫の浦(兵庫県西宮市)
 359 阿倍乃嶋(大阪市阿倍野区)
 360 (地名なし)
 361 佐農
 362 (地名なし)

これらは726年の播磨国印南野への御幸に山部赤人が随行したときの歌。
瀬戸内を巡る船旅がいきなり紀伊半島を越えて新宮に至るはずがないという考え。



とは言え、そもそも万葉の昔にこの地に「佐野」の地名があったのだろうか









「佐野」とは「狭い原野」という意味で、「狭野」が「佐野」に転じたとされる。こんな単純な由来なので「佐野」という地名は全国各地にある。ただし古典文学のなかでは「佐野の舟橋」(栃木県佐野市)と「佐野の渡り」(和歌山県新宮市)が圧倒的な存在感がある。
このため、和泉式部関連で次のようなエピソードがあった。




和泉といふところへ行きたる男のもとより「佐野浦と
いふ所なむ、ここにありけりと聞きたりや」と言ひたるに

いつみてか告げずば知らむあづま路に聞きこそわたれ佐野の舟橋 和泉式部続集
 和泉にあると云うのなら、あの東路の恋を成就するように、どうか佐野の舟橋を渡ってください 

 “和泉といふところへ行きたる男”というのは、和泉式部(978~没年不詳)の最初の夫、橘道貞(生年不詳〜1016)のことである。和泉守になって和泉国に下向した道貞が佐野(泉佐野)という地名を聞き、「あなたの言っていた佐野浦という所が和泉国にあるよ」と都にいる和泉式部に知らせてきた、その返し歌である。
(『歌枕・泉州―関空のふるさとを訪ねて』樋口百合子)











和泉名所図会に佐野の歌が掲載されていた

わすれすよのはこしに波かけて夜ふかく出しさのゝ月かけ 後鳥羽院
ほとゝきす木末にきぬる聲きけは過そやられぬさの松はら 慶永法印
駒なつむさの朝けに見はたせは松はらとをくふれるしら雪 八条隆輔(夫木和歌抄)
冬の日にあられふりはへ朝たては浪に浪こすさの松はら 藤原定家

海に近いので「松」が登場する。
万葉歌の影響か、うすら寒い情景が詠まれている。






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りんくうタウンは泉佐野市にある。

りんくうタウン(手前)と関西空港
全日空ゲートタワーホテルの最上階ラウンジから



ゲートタワービル
左の建物はりんくうシークル



大阪湾、秋の風物詩、タチウオ釣り
テトラポッドからルアーを投げる。
向こうに見えるのがゲートタワーホテル












泉佐野にはいつもタチウオを釣りに行ってます。





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