すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


出雲大社(島根県出雲市)





大国主命(おおくにぬしのかみ)がいわゆる国譲(くにゆず)りの条件として出雲の多芸志(たぎし)の浜に壮大な宮殿を造ったのが出雲大社の創建という。

その出雲大社は縁結びの神として有名である。

実は私の勤務先に、二度結婚しながら短期間で離婚し、40歳を過ぎて再び婚活を始めた同僚がいる。彼は毎週のように婚活に繰り出し、あらゆる種類の婚活に参加したようだ。パーティー形式のみならず、バスツアーでは走行中10分ごとに座席を代わったり、料理教室で一緒に料理を作ったり、インターネットで写真を交換したり、最初から母親同席で出会ったり、ここで紹介するとキリがないのだが、その彼が話してくれた計画が印象に残っている。
それは出雲大社でうろうろしている女性に声を掛けてナンパするというもの。出会いを求める女性は出雲大社に参詣するという仮説を立てていた。これは男女双方のニーズが一致するし、旅先での出会いはロマンチックである。独身の友達と一緒に行く計画を話してくれた。
結果は聞いていない。出雲大社でナンパしたが空振りだったのか、そもそも出雲大社に行かなかったのか。
ただ、彼はその後もずっと独身を貫いている。




六十余州名所図会(歌川広重)「出雲 ほとほとの図」

Wikipedia

広重は出雲国の名勝地のモチーフとして、雅な着物姿で大社に縁結びを祈願する若い娘たちを幻想的に描いている。


現在も若い女性に縁結びの神様として絶大な人気があるようだ。
実際の効能はどんなもんだろうか、とか色々と考えながら、出雲大社へ訪問した。





■ 現地訪問



社頭、「勢溜(せいだまり)」の鳥居
朝の7時に着いてしまった。



早朝すぎたのか、それとも新型コロナウイルス感染拡大防止のため不要不急の外出を控えていたのか、ほとんど観光客はいなかった。
(訪問は2020年夏)



これは「浄の池」



「松の参道」を進む



「縁結びの碑」
大国主命と妻の須勢理毘売命(すせりびめのみこと)が夫婦の盃を交わす場面



これは「大国主命像」
前にウサギがいる。
白兎を助けた場面かな



「ムスビの御神像」
この大国主命と下の写真の波は向かい合っている。



波の上にある球は「魂」らしい



「拝殿」、1519年造営


「八足門」



そしてこれが「本殿」



「本殿」は約60年ごとに遷宮が行われる。2013年に「平成の大遷宮」があった。
なお、大昔の本殿はおよそ96メートルの高さがあったという伝承がある。



「神楽殿」
ここの大注連縄は圧巻である



いやはや素晴らしかったが、縁結びを祈願しているような若い女性には出会わなかった。









■出雲大社の関連の歌を紹介




出雲大社に詣でて見侍りければ、天雲たな引く山のなかばまで、
片そぎのみえけるなむ、此の世の事とも覚えざりけるによめる。」

やはらぐる光や空にみちぬらむ雲に分け入る千木(ちぎ)の片そぎ 寂蓮法師


ふるさとの花のみやこに住み侘びて 八雲たつてふ出雲へぞ行く 大江正言(後拾遺集)


出雲にははれぬ八雲にとぢられて 今宵の月やおぼろなるらむ 源俊頼


このの初めて詠める言の葉を数ふる歌や手向なるらん 細川幽斎(九州道の記)


立ちかへり春はきづきの宮柱あふぐ軒端も霞みそめつゝ 本居宣長
明治時代まで出雲大社は杵築宮と呼ばれていた


八雲山みればたふとしちはやぶる 代のまゝのすがたとおもへば 海量法師(出雲国名所歌集)
八雲山は出雲大社の背後の山


八色雲今もたなびく心地して仰ぐもかしこ大き御社(みやしろ) 松平乗承
松平乗承は最後の松江藩主松平乗秩の養子


歌ひつつ出雲路ゆけば心にも今うつくしきたなびく 与謝野寛


ここかしこ出雲風土記のなかにある地名を思ふなつかしみつつ 吉井勇


やまぞひの杵築の里に秋を経て きけども鹿の声ぞかなしき 重老(出雲国名所歌集)
この辺りは杵築の里と呼ばれていた






「(平成の)天皇皇后両陛下は平成十五年に出雲大社を
御親拝されました。皇后陛下がお詠みになった」

国譲り祀られましし大神の 奇しき御業を偲びて止まず 平成の皇后陛下


境内に歌碑










■出雲の森



出雲大社から七口門を東へ抜けて、吉野川を渡ると社家通りに出る



社家通りを進むと左手に見えてくるのが「出雲の森」


「出雲の森」を詠んだ歌


八雲たつ出雲の森の陰ちかき 君が家居はあやに涼しも 後藤夷臣(出雲国名所歌集)


ときはなる出雲の森に立よれば 風すずし夏の夕暮れ 佐々惟詮(出雲国名所歌集)









さて、出雲の国といえば稲佐の浜も有名
神話では、国譲りの交渉をした場所であったり、また神無月に全国の八百万の神々がこの浜に集合したりする。


弁天島



稲佐の浜




■稲佐の浜を詠んだ歌


横ざまに見つつ寂しき白波は稲佐浜に幾重にも立つ 佐藤佐太郎
佐藤佐太郎は昭和の歌人















その同僚は50歳を過ぎた現在も独身で、母親と同居しています






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