すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


住蓮坊古墳(滋賀県近江八幡市)




法然、親鸞の浄土教が発展していくなかで旧勢力から弾圧がなされた「承元の法難」。
直接のきっかけとなったのは、次にようなエピソード。




■法然の弟子の住蓮と安楽は美声で信者たちを魅了していた。

■後鳥羽上皇の女房の松虫姫と鈴虫姫は上皇の熊野詣の留守中に御所を抜け出して住蓮と安楽の法会に参加する。

■松虫と鈴虫は出家を懇請し、住蓮と安楽は困惑しながらも請負ってしまい、女房達の美しい黒髪は剃り落とされた。

■後鳥羽上皇が熊野詣から帰ってきて、女房たちの出家に激怒した。

■そして法然、親鸞は遠国に流罪。住蓮と安楽は死罪とされた。


このあたりまでは、なんとなく知っていた。


ところが住蓮と安楽が斬首ののちに葬られた墓が滋賀県の近江八幡市にあるという。

地元ではそれなりの史跡として整備されていると聞き、行ってみることにした。




【住蓮坊古墳】 ・・・ 近江八幡市千僧供町
 

こんな一目で古墳と分かるような丘が住蓮坊古墳。
もともとは5世紀〜7世紀に造られた古墳らしい。




墳丘部に住蓮と安楽の墓があった。



住蓮の首を洗った池もあるらしい。(図の左上)




このエピソードの関連人物がいろいろと歌を残している。


身になれし錦の小袖やきすてて 阿弥のみ国に墨()染の袖 上句・松虫姫
下句・鈴虫姫
「墨染め」と「蓮に染まる」を掛けているようだ。



哀れ憂きこの世の中のすたり身を 知りつつ捨つる人ぞつれなき 鈴虫松虫



極楽に生まれむことのうれしさに 身をば佛にまかすなりけり 住蓮房
辞世の詠


今はただ云う言の葉もなかりけり 南無阿弥陀仏のみ名のほかには 安楽房
辞世の詠




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近くで近江鉄道と遭遇







※経緯度は、 35.106008, 136.119596






京都鹿ケ谷に、「住蓮安楽」という寺があるらしいです。
ほんまに単純な名前やな〜と思います。





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