すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


柏原(かいばら)(兵庫県丹波市)






柏原は『かいばら』と読む。


現在では丹波地方のスモールタウンであるが、江戸時代には36000石の柏原藩があった。


寛永11年、柏原藩で天才少女が生まれた。田ステ女、代官の田季繁の娘である。


幼少から利発な田ステ女は、6歳で有名な次の句を詠んだ

雪の朝 二の字二の字の下駄の跡 田ステ女


結婚後、五男一女をもうけたものの、夫は田ステ女が42歳の時に他界した。子供の独立後は、仏門に帰依するとともに俳諧の修行に務めた。


田ステ女の俳名はいよいよ高まり、貞門女流六歌仙の1人と称せられた。


田ステ女の発句

花は世の ためしに咲くやひと盛り 田ステ女

草よ木よ汝に示す 今朝の露 田ステ女

「葉月 十五夜」
いつかいつか いつかと待ちし けふの月 田ステ女

柏原歴史民俗資料館前に句碑


藩主の織田信勝が田ステ女の聡明さを讃えた句を詠んだ。
かやはらに をしや捨ておく露の玉 織田信勝


それに対し田ステ女の返句
あはの穂や身はかずならぬをみなへし 田ステ女



田ステ女は65歳で死去。明治時代になって、正岡子規に元禄四俳女の一人と言わしめた。



現在でも、地元が産んだスターである。








【現地訪問】



丹波市立柏原歴史民俗資料館。この中に田ステ女記念館が増設された
丹波市柏原町柏原672



田ステ女記念館のポスター



田ステ女記念館の隣に田ステ女像



田ステ女像のアップ画像、逆光でよく見えない




記念館の向いに柏原藩の陣屋跡



中を覗く。一般公開されているようだ



この辺りには、簡易裁判所、税務署、法務局が軒を連ねており、昔から官庁街だったのだろう



由緒ある建物があった。現在はフランス料理店として使われている




田ステ女の生誕の地、石碑有り
丹波市柏原町柏原229












今回初めて田ステ女を知りました






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