すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


甲斐の白根(山梨県南アルプス市)





歌枕としては、「甲斐の白根」や「甲斐が峰」「白根」で詠まれる。


一般的には、赤石山脈の最高峰の北岳や、北岳から続く間ノ岳や農鳥山の白根三山を指す。


白根(白嶺)は山頂に雪を抱いていること。


相応の結果を得る意味の「かい(甲斐)がある」に掛けたり、「白根」を「知らない」に掛けたりする。


また、「白」は「雪」で、「冬」を連想できる。


なにかと使い勝手の良い歌枕である。




いつかたは甲斐の白根しらねとも 降るごとにおもひこそやれ 後拾遺和歌集
よもすがらふりつむの高ければ甲斐の白根を思ひこそやれ 林葉集
甲斐が根は山の姿もうづもれてのなかばにかかる 順徳院集
おしなべて外山もはつもれどもかひのしらねはいふかひもなし 藤原家隆(壬二集)





多くの歌人に「甲斐の白根」は詠まれているが、実際に北岳や白根三山を見て詠んだ人は少ないはず。


その中で甲斐を旅した道興准后の歌は実物を見て詠んだものだろう。


消えのこる白根を花とみてかひある山の春の色かな 道興准后







旅の歌人である能因や西行も実際に見た可能性がある。


君すまば甲斐の白嶺のおくなりとふみわけてゆかざらめやは 西行
かひがねのふれるか雲かはるけきほどはわきぞかねつる 能因法師








ややこしいのは、駿河国の東海道を行く旅人が、「甲斐の白根」を眺望して歌を詠んでいること。「小夜の中山」とセットで詠まれていることも多い。




平家物語、巻第十、「海道下りの事」で、平重衡が鎌倉へ送られる場面



手越を過ぎて行けば、北に遠ざかつて、雪白き山あり。
問へば甲斐の白根といふ。
その時三位中将、落つる涙を押さへつつ

惜しからぬ命なれども今日までぞつれなき甲斐の白根をも見つ 平重衡



手越を過ぎて、安倍川の川筋を北方に望んだのだろう。山頂に雪を抱いた山が見えて、あの山は何山と聞いたところ、「甲斐の白根」との回答されたもの。


実際には見えない。






同じように、東海道の歌枕「小夜の中山」から遠く「甲斐の白根」を望む歌も詠まれた。


甲斐が嶺さやにも見しが(けけれ)なく横ほり伏せるさやの中山 古今和歌集
つもる甲斐の白根をよそに見て 遙にこゆるさよの中山 大江義重(新千載和歌集)
甲斐が峰は はやしろし神無月 しぐれてこゆるさやの中山 蓮生法師(続後選和歌集)
春がすみたちわたりつつ甲斐が峰さやにもみえぬ朝ぼらけかな 堀河百首



一首目の古今集の歌は、甲斐の白根を見たいけど小夜の中山が邪魔であるという意味であるが、残りは小夜の中山から甲斐の白根が見られるのを前提に詠んだいる。







この地図の作成に一時間以上かかった。
静岡県から甲斐の白根を見るのは不可能だろう。











最後に、甲斐八景の白根山を詠んだ歌。
実は、詠み手は 現地訪れたことがない京都の公家が想像で詠んだもの。



「白根夕照」
此夕べのこる日かげははれていまむかふしらねにくまなき 中山前大納言篤親卿(甲斐八景)
















標高3000メートルを超える北岳に登れるわけがなく、甲府盆地の勝沼にあるOUTLOOKポイント「牛奥みはらしの丘」から白根三山を眺望してきた。



白根三山眺望。真夏だったので、雲で見えない。




なんとなく見えているのは農鳥山の山頂か。
北岳は右手の白雲の中。




冬ならこんな感じ



グーグルアース








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あまり「甲斐の白根」を深追いしても詮ないと思います。
古典の参考書等でも、甲斐の白根はサラッと流しています。






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