すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


鎌倉(神奈川県鎌倉市)








金曜日に東京出張があったため、横浜に一泊して土曜日に金沢八景と鎌倉の巡遊を計画した。

京急線の金沢文庫駅からスタート。

金沢八景駅から鎌倉駅への路線バスの時刻表も確認した。

鎌倉駅前にレンタサイクル屋さんがあり、江ノ島で乗り捨て可能であることを確認。

金沢八景の八景それぞれの由縁の場所を特定。

鎌倉も、20ヶ所以上の訪問地を特定。自転車で巡るのだから一挙に回ってみよう!



こんな感じで計画を進めていたが、前日になって、当日は一日中大雨で風も強いとの予報。

急遽、レンタサイクルの計画は破棄し、レンタカー利用に変更した。

目的地も、千葉方面への変更を検討したが、準備不足のため断念。

自転車で回ることを計画していた鎌倉を、自動車で回ることになった。

多分、大雨なので観光客も少なく、スムーズに回れるのでは?、と期待したのだが。

当日は、先ず横浜から鎌倉まで大渋滞が続き、鎌倉でも街中に車があふれかえっていて、駐車場を見つけるのも大変。

大雨なのに鎌倉では観光客は外国人も含めて普通に観光していた。

また、道が狭くて車では移動の自由度が低いことも分かった。



結局、主だった目的地以外はスルーすることを決断。

訪問前にいろいろ入念に調べていただけに残念でならない。

このページは、歌枕としての「鎌倉」と、鎌倉にありながら訪問をスルーした歌枕の「拾遺集」の二部構成としたい。













鎌倉



歌枕としての鎌倉は、古くから「鎌倉山」が詠まれてきた。

鎌倉幕府が開かれるずっと前の、万葉集にすでに「鎌倉山」が詠まれている。

奈良時代末期に、こんな東国の小さな漁村の山をモチーフにした歌が詠まれ、しかも平安時代にも名だたる歌人が歌枕として詠み続けてきたことを考えると、もともと鎌倉という土地のポテンシャルは相当高かったのだろう。

現在、グーグルマップで「鎌倉山」を検索すると鎌倉市深沢地域の住宅地の住所が該当する。高級住宅街として開発された地域である。

ただし歌枕としての鎌倉山は『鶴岡八幡宮の後方にある山というのが通説』(歌枕歌ことば辞典)、『鎌倉市雪ノ下にある大臣山ともされる、云々』(歌枕辞典)とされている。



これが大臣山。歌枕、鎌倉山。

舞殿とその右手後ろに大臣山。



言われてみれば、由緒ありげな佇まい。
秀賀にして高からぬ山、これこそ万葉故地、鎌倉山であろう。









■ 歌枕「鎌倉山」を詠んだ歌


薪伐(たきぎこ)鎌倉山木垂(こだ)る木をまつと()が言はば恋ひつつやあらむ 万葉集
東歌


草刈り積むほどになりにけり跡も留めぬ鎌倉の山 藤原公任
藤原公任は平安時代中期の歌人で、百人一首に入集


かき曇りなどか音せぬほととぎす鎌倉山に道やまどへる 藤原実方
藤原実方は平安時代中期の歌人で、陸奧守に左遷


民もまたにぎわいけり秋の田を刈りておさむる鎌倉の里 藤原実方
「鎌倉の里」を詠んだ歌もある


宮柱ふとしき立ててよろづ代に今ぞさかえむ鎌くらの里 源実朝
源実朝は三代将軍


鎌倉のよるの山おろし寒ければみなのせ川に千鳥なくなり 賀茂真淵
賀茂真淵は江戸時代中期の国学者












今回の訪問は、なにか達成感がありました。














鎌倉「拾遺集」








この日、一日中、鎌倉は雨だった。

雨のため当初予定のレンタサイクルで行けなくなった訪問地をまとめてみた。




亀ヶ谷

幾千とせ鶴が岡べに伴ひてよはひあらそふ亀がゐのやつ 道興准后(廻国雑記)




扇ヶ谷

秋だにもいとひし風を折しもあれ扇が谷は名さへすさまじ 道興准后(廻国雑記)
写し絵の扇がやつやこれならむ月はうな原雪は富士の嶺 道興准后(廻国雑記)



笹目ヶ谷

霜さやぐさざめが谷のふしのまに一夜の夢も嵐ふくなり 道興准后(廻国雑記)




梅ヶ谷

冬枯の木立さびしき梅が谷もみぢも花もおもかげぞなき 道興准后(廻国雑記)




瓜ヶ谷

ひと夏はとなりかくなり暮過ぎて冬にかかれる瓜が谷かな 道興准后(廻国雑記)




底脱井(そこぬけのい)

(しづ)の女がいただく桶の底抜けて水たまらねば月もやどらず 東海道名所図会
千代能がいだく桶の底抜けて水たまらねば月もやどらじ 如大禅尼
海蔵寺門前にあり




霧ヶ谷

此の里の古井のもとの桐がやつおちばの後は汲む人もなし 道興准后(廻国雑記)
桐ヶ谷は現在の材木座4丁目付近の古の地名(鎌倉ガイド協会)


紅ヶ谷

顔にぬる紅が谷よりうつりきて早くも越ゆるけはひ坂かな 道興准后(廻国雑記)
弁谷の異称




胡桃ヶ谷

住みなれし鎌倉山のやまがらやくるみが谷に秋をへぬらむ 道興准后(廻国雑記)




葛原岡

秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や世に残るらん 藤原俊基
日野俊基公の霊を鎮める為に創建されたのが葛原岡神社




建長寺

躍りはねて伏してだにもかなわぬをいねむりしてはいかがあるべき 一遍上人
躍りはね庭に穂ひろう小雀は鷲のすみかをいかが知るべき 大覚禅師
勝上獄〈半僧坊〉でのエピソード




袖の浦

袖の浦の花の浪にも知らざりき いかなる秋の色に恋ひつゝ 順徳院
袖の浦にたまらず玉のくだけつゝよりても遠くかへる波かな 藤原定家
しき波に獨や寢なん袖の浦さはく湊による船もなし 西行法師
うき身をはみてをぬらすともさしもや浪に心くたけん 鴨長明
「稲村崎の海浜袖のごとし。故に名とす」(東海道名所図会)






しかしながら、もし天気が晴れていて、実際にレンタサイクルでこの訪問予定地を全部回っていたら、かなり大変な行程だったろう。









この地図ですが、作り方を忘れてしまっていて、大変でした。
(あまり自信がありません)





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