すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


上之郷(大阪府泉佐野市)




う〜ん、

こんなエピソード系の史跡が大好きである。

日本書紀に次のような伝承がある。





(簡記)

■允恭天皇は、世にも美しい衣通姫を愛した。

■皇后の嫉妬が激しかったので、允恭天皇は和泉国(当時は河内国)の茅渟(ちぬ)宮へ衣通姫を住まわした。

■允恭天皇は狩りに行くと称して、茅渟宮の衣通姫のもとに通い続けられた。

■皇后が気付き、釘を刺された允恭天皇はそれ以降、通うことが稀になってしまった。



まあ、外に女を囲って通っていたところ、ヨメにばれて、足が遠のいたという、一般的な話である。


しかし、久しぶりに茅渟宮に訪れた允恭天皇に対し、衣通姫が次の歌を詠んだことから、悲恋のカップルとして世に伝承されることとなった。

とこしへに 君もあへやも いさな取り 海の浜藻の 寄る時々を 衣通姫
 海の浜藻が波のままに岸辺へ近寄り漂うように、
まれにしかお会いしておりません
(泉佐野市観光協会)


茅渟宮跡に歌の案内板


ただし、この歌をきいた允恭天皇は「この歌を皇后に聞かれたら、また大変なことになる」として、絶対に他の人に言わないように衣通姫に言い聞かせた。


天皇と皇后の間では、衣通姫とのことは既に清算したことになっていたのだろう。
(よくある話)











そんな茅渟宮があったのが、泉佐野市の上之郷の地とされている。
天皇がわざわざこんな田舎に通われたとは、俄かに信じがたいのだが、現在では史跡として整備されていると聞いたので、行ってみた。



田んぼと住宅の混在地域の中の、子供の公園のような場所だった。



茅渟宮蹟の石碑



きちんと整備されていた。



案内板があった。



まわりの光景


和泉名所図会「茅渟宮」

早稲田大学図書館

建屋の中に衣通姫がいて、左手に天皇のご一行が見える。
家来の数のなんと多いことか!













満足度の高い訪問でした





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