すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


上関(かみのせき)(山口県上関町)









室津上関 さおさしゃ届く なぜに届かぬ 我が想い 高杉晋作






写真は上関大橋。
幅170メートルの上関海峡を全長220メートルの上関大橋が架かる。
手前が本州側の室津で、向こう側が長島の上関。

高杉晋作の歌のように、竿をさしたら届きそうである。

古来、瀬戸内航路では積荷などを検める番所が置かれていた。東から上関、中関、下関である。

上関は、村上水軍の根拠地であったり、朝鮮通信使の接待が行われたり、北前船の寄港地であったり、海駅が設けられたり、風待ち潮待ちの港であったりと、瀬戸内交通の要所として活況に溢れていた。

明治時代になって、鉄道が開通すると、当地の歴史的な役割は終焉を迎え、今に至るまで衰退の一途をたどっている。



ここで私の政治的な意見を述べようとは思わないが、1980年代、上関町は地域活性の起爆剤として原発の誘致を表明したものの、反対運動のため、その後40年にわたって建設は進んでいない。

中国電力は経産省への立場があるので建設を撤回することはできないが、と言って原発を建設するような資金力も無いし、もう気運も盛り上がらないだろう。

原発建設予定地が、祝島の町の真正面すぎて、祝島の反対論が盛り上がったのかな。祝島の真正面を避けて、となりの浦とかに建設していれば今頃原発は運転できていたかもしれない。

誘致表明以来40年の間に人口は三分の一に減り、高齢化が一段と進んだらしい。

一体この町はこれからどうなっていくのだろうか。








そんな上関を詠んだ歌


室津見竈戸を過る舟なれば 物を思ひにこがれこそゆく 源俊頼


朝凪にあまの刈るてふ藻塩草 たくや釜戸の関といふらん 足利義満


上関は、「竈戸(かまど)」や「竈戸関」などと呼ばれた時期があった。



嘉永癸丑十月十五日
舟を発し家室を過ぎ室津に至りて泊す
詩あり、云はく、帰郷夢断えて涙散々
舟子喚び醒す是
上関
蓬窓怪しむなかれ起き来ること晩きを
国を去りて看るに忍びんや故国の山
吉田松陰


吉田松陰が、ロシア船が到着した長崎に行く途中、室津で詠んだもの

















【上関の写真】



上関大橋



室津側から上関の町を眺望



道の駅「上関海峡」













上盛山(長島)の展望台に行ってみたいです





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