すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
金ヶ崎は、敦賀湾を一望する小高い山で、かつて山頂には金ヶ崎城が置かれ、ここは南北朝時代の新田義貞の籠城戦や、戦国時代の織田信長の金ヶ崎崩れなど、古来大きな戦いの舞台となってきた。 江戸時代、敦賀の景勝地を選んだ「敦賀八景」にはこの金ヶ崎から二つの情景が選出されている。「金ヶ崎帰帆」と「金前寺晩鐘」であり、それぞれに狂歌が添えられている。金前寺は金ヶ崎の南麓にある真言宗の寺。 |
吹き付ける風は敦賀の宝ふね まうけて帰るかねか崎かな | 雁返舎(敦賀八景) |
くれかきり帰りてあすも |
雁返舎(敦賀八景) |
狂歌なので滑稽な戯れ歌に仕上げている。 敦賀の宝船は北前船のこと、儲けるので「金」ヶ崎となっている。 また、日が暮れたので帰るけど明日も「来る」を、関西弁で「こん」前寺としている。 さて、金ヶ崎には有名な沈鐘伝説がある。南北朝時代の戦いで足利軍に追い詰められた新田軍が、軍鐘を金ヶ崎の沖合に沈めたという故事に基づいたもので、松尾芭蕉も沈鐘伝説をもとにした句を詠んでいる。 |
月いつこ 鐘は沈める うみの底 | 松尾芭蕉 |
金前寺には、松尾芭蕉の句に因んだ鐘塚が設けられている。 明治時代に高浜虚子がこの鐘塚に訪れている。 |
句碑を訪う おりから月も なかりけり | 高浜虚子 |
え〜、このように金ヶ崎のキーワードは「かね」 だろう。 また、敦賀は月の名所なので、「月」も重要である。 ■ そんな敦賀の金ヶ崎を訪問してきた ![]() 金ヶ崎の先端部分 尚、金ヶ崎付近は石灰石の山地なので、採掘が行われており山の形が変わっているようだ。 ![]() 金ヶ崎を南側から撮影 ![]() 金ヶ崎の先端部分で海に突き出たところ。衣掛の崎という。夕方に沖合から帆船帰ってくる様が「金ヶ崎帰帆」 ![]() 金前寺 ![]() 金前寺の梵鐘 ![]() 芭蕉の鐘塚 ![]() 近くの敦賀港にはレンガの倉庫が観光地になっていた。 ![]() キハ28が保存されていた。 これが一番良かった。 |