すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


鐘の岬(福岡県宗像市)








福岡県宗像市、玄界灘に突き出た「鐘の岬」は源氏物語ゆかりの地だそうだ。




源氏物語、第二十二帖、玉鬘の巻

夕顔の急死ののち、忘れ形見の玉蔓は、乳母とその夫とともに筑紫の国へ向けて船の旅に出た。

母の死を知らない幼い玉蔓は、「母のところに行くのか」と尋ねたりして周りの人々の涙を誘った。

一行を乗せた船は瀬戸内海から関門海峡を抜け、九州北部の沿岸を西に向かい、「鐘の岬」を過ぎた。
本文では、

  金の岬過ぎて、われは忘れずなど、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
(源氏物語 玉蔓)

乳母たちは夕顔のことを「われは忘れず」と恋しがった。そして忘れ形見の玉蔓を大切に世話しながら暮らした、とある。

え〜と、「金の岬過ぎて、われは忘れず」のフレーズはなんと万葉集からの引用である。


ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも 我れは忘れじ 志賀の皇神 万葉集


宗像神社の第二駐車場に歌碑


万葉集では、志賀島の海の神様を忘れないという内容であるが、それを「夕顔のことを忘れない」に転用しているもの。








現在の鐘の岬の様子。(Google Earth )

海に突き出ているのが鐘の岬。
その先に浮かぶ島は宗像三女神の伝説の島、地の島。





岬には式内社の織幡神社が鎮座している。
現地訪問してきた。







■織幡神社 ・・・ 福岡県宗像市鐘崎字岬224


それなりの社格を感じさせる雰囲気があった。
ただし夏休みに行ったにもかかわらず観光客は誰もいなかった。



うわー、神功皇后の登場か!と思ったが、海女の像だった。
この辺りは、筑前海女の発祥の地だそうだ。



「鐘の岬」の地名の由来は、岬の沖に異国の釣鐘が沈んでいるという沈鐘伝説。
けれども、ずっと鐘が沈んでいるものと思われていたモノを、大正年間に引き上げたところ、上がってきたのがこの石。境内に展示されている。



歌碑があったが、何の歌か分からない。



この階段は辛かった。



階段を上ったところにある社殿



上から階段を見下ろす。
鐘崎漁港が見える。



東向きを眺める。



海岸まで下りてきた
右の山が織幡神社の岬で、海を隔てて地の島を眺望。









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沈鐘伝説は、福井県敦賀の金ヶ崎にもあります。
















【 追 記 】


筑紫よりのぼりけるみちに、さやかた山
といふ所を過ぐとて詠みはべりける


あなじ吹く瀬戸の潮合に船出してはやくぞすぐる佐屋形山 藤原通俊(後拾遺和歌集)
あなじ・・・西北から吹く風


「鐘の岬」の山は、陸地側からは「佐屋形山」という異称があり、現在でも低山ハイカーに人気がある。

この「佐屋形山」も平安時代の歌枕であるが、地味でマイナーで、すぐに忘れられた埋没歌枕だ。

『歌枕を学ぶ人のために』(世界思想社)によると、「(さや)」「(さや)か」を連想させる歌枕として後拾遺集でデビューしたものの、京の都から遠い筑紫国の地名で詩的感興を催さなかったこと、「小夜の中山」に力負けしたこと、また藤原通俊が歌人としてさほど評価されていなかったことなどから、後世に数首の詠歌例があるのみで、終わってしまったとのこと。

もし畿内にあれば、ネーミングの妙からそれなりの人気歌枕になっていたかも知れない。








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