すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受け、上野国新田郡の生品神社境内で挙兵の旗揚げをし、いざ鎌倉へ向けて出発した。 軍勢150騎は南に向かって行軍したが、約4キロの現在の木崎町付近で早くも休憩した。 出発から休憩まで早すぎるような気もするが、おそらく近隣から味方の軍勢が参集するのを待っていたのだろう。 新田義貞は冠を松の枝に掛けて休憩したとされ、その松は「冠掛の松」と呼ばれた。 ■ 新田義貞が「冠掛の松」を詠んだ歌 |
立帰りまたもきて見ん冠着の松よ千歳を我に契らば | 新田義貞 |
■ 現地訪問 大通寺 ・・・ 太田市新田木崎町1391−2 ![]() かなり立派な楼門があった ![]() 楼門の傍らに「新田義貞公冠着松」と刻印の石碑 ![]() こちらの側面には「新田義貞公旧跡」の文字 ![]() 楼門を入ると社殿の前に大きな広場があった ![]() 実は大通寺は幼稚園を併設しており、ここは運動場になっていた ![]() 社殿の前に「冠掛の松」があった 見事な枝振りの老松で、じつに風趣を保っていた 現在あるのは二代目 ■ 江戸時代の俳人、春秋庵白雄が「冠掛の松」を詠んだ句 |
夏にこもる御僧いくたり松の風 | 春秋庵白雄 |