すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


苅萱の関(福岡県太宰府市)





刈萱の関の史跡を訪れて、「刈萱」ってどこかで聞いたことあるな〜と思ったが、なんと和歌山の高野山が舞台の「刈萱道心と石童丸」という説話のゆかりの地であった。
高野山関連の物語集に必ず収録されている有名な話である。


どんな物語なのかというと、

筑前国の武将、加藤左衛門尉繁氏は、妻と妾の醜い嫉妬心(上辺は親し気に振る舞いながら髪の毛が蛇と化して絡み合う様子)を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、寂昭坊等阿法師、苅萱道心と号して、源空上人(法然)のもとで修行し、高野山に登った。

その息子である石童丸は、母とともに父親探しの旅にでる。旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。高野山は女人禁制 母を麓の宿において一人で山に登り、偶然父親である等阿法師に出会うが、父親である等阿法師ははるばる尋ねてきた息子に、棄恩入無為の誓のために、自分があなたの父親ですと名乗ることはせずに、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りを言い、実の父親に会いながらそれと知らずに戻った。石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀話。 
(WIKIPEDIA「刈萱」)

いやはや落涙数行を禁じ得ないものがある。


高野山には、刈萱道心が修行したと伝わる密厳院の刈萱堂があり、観光地になっている。









そんな刈萱道心が住んでいた刈萱の地であるが、ここには大昔から大宰府の関所が設けられていたようだ。本当に大宰府の政庁跡のすぐ近くにある。

刈萱の関を詠んだ歌が残っている。


苅萱の関守にのみ見えつるは 人も許さぬ道辺なりけり 菅原道真


数ならぬ身をいかにとも事とはば いかなる名をかるかやの関 宗祇(筑紫道記)


どちらも関守とのやり取りを詠い上げている。







刈萱の関があったところ


刈萱の関跡
向こうには、3号線バイパスがあったり、西鉄の天神大牟田線が通っていたり、やはりこの地は昔から交通の要衝であったようだ。



刈萱の関の前の道、日田街道とのこと。
いかにも昔の街道の雰囲気があった。



近くにあった地蔵尊。右の手前に「関屋」の小字標。



近所の橋の名前も「刈萱橋」


















滞在時間は1分以内でした。






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