すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


借島(山口県下関市)






長門なる沖つ借島奥まへて 我が思ふ君は千年にもがも 万葉集


下関市の毘沙ノ鼻に歌碑




現地の案内板を転記する
 歌碑の歌は天平10年(738)、長門守巨曽倍対馬(こそべのつしま)が、都で催された橘家の宴席で、時の右大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)に詠んだ歌である。
 「長門の国にある沖つ借島の名のように、心の奥に深く思っているあなた様は、千年も長生きしてほしいものです」と、自分の任国の地名を巧みに使い、長寿を願った歌である。
 この地より、西方5キロの海上に浮かぶ蓋井島こそ、天平の昔の「沖つ借島」であろうとする伝承が、江戸時代中期以降に既に見えています。「八幡宮本紀」(1689)「防長地下上申」「長門一の宮住吉神社史料」などがこれである。
 これらの伝承を重んじ、この島を眺望できる、ここ本州最西端・毘沙ノ鼻の地に、この万葉歌碑を建立するものである。



なるほど、作詠の経緯などがよく分った。










【現地訪問】



毘沙ノ鼻の駐車場にあったキャラクターたち
なにか毘沙ノ鼻には犬や兎に因んだ伝承があるのかな



これが本州最西端、毘沙ノ鼻
ハートマークがあったが、恋人達の聖地かな



毘沙ノ鼻の沖にあるのが万葉故地の借島、現在の蓋井島



展望案内図に合せて撮影



毘沙ノ鼻から南方向、下関市の産廃処分場が見える



北方向、手つかずの自然があった









戦国武将の細川幽斎も借島を詠んでいる


みな人の命長門と頼めども世は借島の波のうたかた 細川幽斎(九州道の記)


さすが伝説の歌人、細川幽斎らしい見事な歌いっぷりである。
みんな、命が長くあってほしい(長門)と願うけど、この世は仮の(借島)世で浪間の泡沫のように消えてしまう、と地名を正反対のダジャレにして詠み上げている。

令和の時代ではなかなかこのようなダジャレは通用しないが、古典の世界ではピカイチである。












本州最南端の潮岬にも行きましたので、これで二極制覇です





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