すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


笠寺(名古屋市緑区)




笠寺や漏らぬ岩屋も春の雨 松尾芭蕉



いやはや、この「笠寺」をホームページで採り上げるかどうか、迷った。
ここはいわゆる「古詠聞こえず」の地である。わずかに芭蕉の一句を確認するのみで、どうしたものかな〜と考えた。

ただ、万葉故地の「桜田」へ往訪したところ、すぐ近くに「笠寺公園」があり、地形的に興味深かったので行ってみた。

「見晴台考古資料館」のパンフレットから

※ 笠松公園には「見晴台考古資料館」があり、旧石器時代以降の遺跡発掘を行っている。

写真のように、公園は台地の上にある。
台地の下は中世まで海が迫っていたらしい。
いわゆる干潟が広がっており、景勝地になっていたようだ。


今はこんな感じ

笠松公園から南東を望む
この下が海食崖になって、すぐそこまで海が来ていたのだろう



西方面
多分、正面の森のところは「笠寺観音」だろう



う〜ん、これは南向きかな?


とにかく、地図でいうとこんな感じ

上から台地がベロ状に延びてきている。
(熱田神宮も同じ形状だったような)











  ※少し挿話です

【笠寺観音(天林山笠覆寺)について】(かなり要約します)

「東海道名所図会」の記述によると、

@聖武天皇の時代、ある上人が本尊を彫刻して、寺に置いた。

A月日がたち、兵火も起こり、寺は滅び、霊像は野原に残された。

B鳴海の長者に美人の娘がいた。

Cある大雨の時、彫像が濡れるのを悲しみ、自分の菅の笠を着せた。

Dたまたま通りがかった関白藤原基経の嫡男が雨に濡れた美女を見初めた。

E鳴海の長者の娘は都に上り、公卿の妻となった。

F土地の人は、ご尊像を安置して、伽藍を拝み奉った。

G時は醍醐帝の御宇、この由縁によって本尊は今において笠を被きたまうゆえ、世人笠寺という。

・・・・・・・・・ということらしい。

 


 




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海食崖の跡に興味がありました












(追記)


2017年、東海道を歩いたときに笠寺観音に寄ってきた



西門。
東海道から西門に入る。



これが本堂



芭蕉の句碑と千鳥塚(星崎の頁をご参照)



玉照姫の碑



山門
ここから東海道へ戻った













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