すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


笠島道祖神(宮城県名取市)




こんなエピソードが満載の「ゆかりの地」が大好きで、訪問前からワクワクしたもんだ。ところが肝心なところでBigMistakeをしてしまった。(後述)




先ずはどんなエピソードがあったのか、順番に書いていく

@平安時代初期、実方中将は宮中で藤原行成と和歌について口論となった末に、行成の冠をとって庭に投げ捨てた。
それを見ていた一條天皇は怒って実方に対し「歌枕を見てまいれ」と陸奥国へ左遷を命じた。

二人のケンカの元になったのは実方のこの歌

桜がり雨はふりきぬおなじくは濡るとも花のかげにやどらむ 実方中将

この歌について行成が言いがかりを付けたらしい。







A陸奥守として赴任した実方中将は、出羽国の歌枕「阿古屋の松」を訪ねる道すがら、笠島道祖神の前を騎馬のまま通過しようとした。地元民が道祖神の前で下馬を勧めたが、実方は無理やり乗馬したまま通り過ぎたので、道祖神の怒りを買って、馬から落馬し、それが原因で亡くなったという。

実方中将の辞世の歌

みちのくの阿古耶の松を訪ねわび身は朽ち人になるぞかなしき 実方中将








B鎌倉時代初期、中古三十六歌仙であった実方中将の名望を慕い、西行法師が実方中将の墓を訪ねている。

この時に西行が詠んだ歌

朽ちもせぬその名ばかりを留め置きて枯野のすすき形見にぞ見る 西行

実方の歌の「朽ち人」を踏まえ、西行は実方の名前は「朽ちもせぬ」としている。
「枯野のすすき」も現在に伝わって、植えられているらしい。







C江戸時代、松尾芭蕉は実方中将と西行の事績に憧れて「奥の細道」の旅で実方の墓を目指したが、雨が激しく降ったので遠くから眺めて通り過ぎたと記している。


(奥の細道 笠島)
鐙摺、白石の城を過、笠島の郡(こおり)に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遙右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。此比(このごろ)の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、蓑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと

笠島はいづこ五月の ぬかり道


   実方中将の墓の入り口に句碑










平成の世の中になり、私も実方・西行・芭蕉の足跡を訪ねて、みちのく一人旅に出た。


【笠島道祖神】 (現在は佐倍乃神社)


実方中将は、この前の道を乗馬したまま通過して神の怒りを買ってしまった。





【実方中将の墓】

う〜ん、大変な間違いを犯してしまった。


「実方橋」
「実方中将の墓」の案内板にしたがい、ここに着いた。
笠島道祖神から北へ約700メートルの場所。



芭蕉の句碑があった。
え〜感じの史蹟だと思った。



そんで、こんな石碑があったので、これが実方中将の墓だと思い、写真を撮って帰ってしまった。


ところが、家に帰った後に実方中将関連の資料を確認したところ、実方の墓は入口から山に少し入ったところにあることが判明。
せっかく近くまで行ったのに!



名取市観光物産協会のホームページから写真を拝借した。

う〜ん残念無念!











ちなみに「笠島」という地名は万葉時代からあるらしく、万葉集に「笠島」を詠みこんだ歌がある。


草陰の荒ゐの崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらん 万葉集

防人の歌らしい






実方中将の墓






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多分、再び訪れることはないでしょう




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