すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


香椎潟(福岡市東区)





松本清張、「点と線」より

 鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。
 前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮び、その左の方には能古島がかすむ眺望のきれいなところである。
 この海岸を香椎潟といった。昔の「橿日の浦」である。太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、
「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ。 

(点と線/松本清張)


日本文学史上屈指の名作、松本清張の「点と線」。
舞台となったのは博多近郊の香椎の海岸。
岩場の海岸で死んでいた男女は当初情死とされていたが、寝台特急の食堂の領収書に疑問を持った老刑事の追及が発端となって、じつは殺人事件だったことを立証していくという長編推理小説。



今回の九州旅行の前に改めて「点と線」を読み直した。
昭和32年の作品なので、もちろん新幹線はなく、九州へは寝台特急を利用している。まだ電話が普及していなかったのか、電報が一般的に使われていた。なにもかも隔世の感がある、というか実際に60年以上前の、まだ終戦間もないころの日本の状況がよく分かった。



町の様子も相当変わってしまったようだ。
「点と線」の舞台、香椎へ行ってきた。




これがJR香椎駅
夜、博多方面から列車に乗った男女は香椎駅で降りた。



駅前の果物屋。
果物屋の店主が男女を目撃していた。重要な目撃情報であった。
ここは駅前の一等地であり、現在マンションを建設中だった。



西鉄香椎駅。
高架駅になっていた。この駅からも二人の男女が降りたった。
海岸方面に歩いていくところを目撃者に目撃されている。



西鉄香椎駅前にあった「清張桜」。
もともと旧駅舎の前にあった桜を、「点と線」の現場を見ていた歴史の生き証人として新駅の駅前に移植したもの。


  
清張桜の案内板



西鉄香椎駅から海岸へ向かう。
女が男に『ずいぶん寂しい所ね』と言った場所。
駅前は再開発されていた。



海岸までは、福岡都市高速香椎線と国道三号線を越えていく。



「点と線」の当時、左手はまだ海であった。その後に埋立てられている。



右手は海岸の岩場の名残。左は海であった。



岩場だったので、殺人の跡が残らなかった、らしい。
男女の死体があったのはこの辺りか。


 この岩の多い海岸を通ることが、彼の職場への近道であり、毎日の習慣であった。
(点と線/松本清張)



岩の多い海岸を越えていくのは、この辺り。右手に岩場が残る。



現在の香椎潟。
博多湾が埋立てられてアイランドシティが誕生。


 朝は明けたばかりであった。沖には乳色の靄が立っていた。志賀島も海の中道も、その中に薄い。
(点と線/松本清張)



パノラマ撮影。
志賀島も海の中道も見えなくなっていた。

なんというか、1000年以上も前に詠まれた万葉歌の風景は、戦後の「点と線」の時代まで残っていて、その後の高度成長期の時代になくなってしまったということ。





香椎潟を詠んだ歌


いざ子ども香椎の潟に白栲の 袖さへ濡れて朝菜摘みてむ 万葉集


時つ風吹くべくなりぬ香椎潟 潮干の浦に玉藻刈りてな 万葉集


行き帰り常に我が見し香椎潟 明日ゆ後には見むよしもなし 万葉集











「点と線」の香椎探訪に時間がかかってしまい、もう一つの目的地であった香椎宮への訪問は断念。同じく朝鮮半島からの敵襲の守り神である筥崎宮へは行ったので、香椎宮はもういいかなと思った次第。



香椎宮を詠んだ歌


ちはやぶる香椎の宮綾杉は神のみそぎにたてるなりけり 新古今和歌集


神功皇后が三韓征伐を終えて九州に凱旋したときに、戦いに使った武具を香椎宮に埋めて、その上に杉を植えたという伝説がある。この杉を「綾杉」といって、現在も神木として境内に残っているらしい。
古くは足利尊氏、豊臣秀吉がこの綾杉を奉ることにより神功皇后の神威に綾かっている。
現在、福岡の地酒で「綾杉酒造」がある。







GoogleMapもヤフー!地図も不具合が発生したので、
スマホの地図のスクショを掲載。白丸のところが殺人現場。







推理小説はほとんど読みませんが、
松本清張は好きです。






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