すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


交野ヶ原(大阪府枚方市)






河内国は都の近くにあったものの、著名な歌枕が少ない。
そんな中、「交野ヶ原」は、河内国随一の歌枕だろう。
ほかに「狭山池」や「高安」などもあるが、パッとしない。

古代の交野ヶ原は、現在の交野市だけではなく周辺の枚方市や生駒山麓を含む地域に広がる丘陵地のこと。
交野ヶ原には正統派歌枕を名乗ることのできる多くの資質がある。
点描してみると、

・古墳時代、継体天皇の樟葉宮があった
・桓武天皇の離宮、貴族の別荘地があった
・都に近いため、天皇・貴族の狩猟地であった
・渚院で在原業平たちが花見をする(「伊勢物語」)
・美男子の「交野の少将」を主人公とした物語が成立(平安時代)
・天の川をはじめ「七夕伝説」の伝承地が多く残る
・京から大阪への道筋にあり、多くの旅人が往来した
・「かたの」は「難(かた)し」に通じ、困難を表現する歌に適する
等々

在原業平の渚院での詠歌は「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」であり人口に膾炙している。





これほどの実力のある歌枕は滅多にないのだが、中世以降、交野ヶ原を詠んだ歌は少なくなり行き詰まり感がある。そして現在における歌枕としての存在感はそれほど高くない。

原因として考えられるのは、
・宮廷人の狩猟の風習が衰微していった
・伝説の美男子の地位が交野の少将から光源氏に取って代わられた
・都に近いため、歌枕のライバルが多かった
・桜好きの西行が交野の桜の歌を詠まなかった
・交野ヶ原の地域があまりに広大すぎた
・その結果、交野ヶ原としての史跡が整備されなかった

いろいろ残念である。




交野ヶ原を詠んだ歌


またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの 藤原俊成(新古今和歌集


天野川の禁野橋北側に歌碑


狩り暮らし交野の真柴をりしきて 淀の川瀬の月を見るかな 新古今和歌集


うずらなく交野のみ野の草枕 いく夜かり寝の数つもるらん 藤原基氏(続後拾遺和歌集)


霰降る交野の御野の狩衣 濡れぬ宿かす人しなければ 詞花和歌集


あふことのかたのへとてぞ我はゆく 身を同じ名に思ひなしつつ 後撰和歌集
会うことが困難との意

















【現地訪問】

上述の通り、交野ヶ原を象徴するような史跡がなく、どこに行けば良いか迷っていたところ、枚方市の片埜(かたの)神社の神域の森は往昔の狩猟や桜狩りの土地の面影を残しているとの情報があり、行ってみた。


枚方市であるが片埜(かたの)神社




片埜神社の社叢林




これは片埜神社の北にある牧野公園
「牧野」という地名も皇室の牧場という意味らしい




大阪歯科大学。昔の片埜神社の神域だった。敷地内に森が残る。




牧野公園の桜は「牧野の桜」として枚方八景に選出されている。


















現地訪問からこのページの作成まで一年近くかかりました







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