すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


片岡(奈良県香芝市 他)




いやはや、なんともマイナーな故地、その名は「片岡」
「片岡」とは、片方に傾斜した丘のことで、そんな地形なら全国にいくらでもある。そんな一般名詞のような古典ゆかりの地「片岡」を訪問するため、いろいろ調べた結果、合計4か所に訪問する必要があることがわかり、頭を抱えたものであった。


関係する和歌は二つあり、日本書紀と万葉集に収録されていた。
それぞれ場所がビミョーに異なっていたり、離れた場所に歌碑があったり、そして戦後に開発された「片岡」もある。


訪問地は4か所、こんなかんじ
@ 志津美神社 香芝市 万葉歌の方の片岡の地、歌碑がある
A 達磨寺  王寺町 日本書紀の歌の片岡の地
B 上宮遺跡公園 斑鳩町 日本書紀の歌の歌碑がある
C 片岡台 上牧町 戦後に開発されたニュータウン


歌の内容も、もう一つであったので、あまり気乗りはしなかったが、とにかく訪問してきた。




@志津美神社

片岡の この向つ峰に 椎蒔かば 今年の夏の 蔭にならむか 万葉集
(私訳)片岡の向こうの峰に椎の木のタネを蒔いたら、
今年の夏は木陰ができるだろうか(恋は実るだろうか)


志津美神社の参道に歌碑


ちょっと上等な田舎の鎮守社のような佇まいであった。




神社の裏山には椎の木の原生林があって、奈良県指定の天然記念物になっているらしい。


こんなかんじ








椎の木は万葉歌に因んだものだろうけど、素人には椎の木なのか何なのか分からない。






A達磨寺

しなてる片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たびと)あはれ 親無しに 汝(なれ)(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て臥せる その旅人あはれ 日本書記


昔、聖徳太子の「片岡山飢人御慰問」というのがあり、詳細は達磨寺のホームページの解説を参考にしたい。

「太子が片岡山のほとりに住む道人を訪ねるべく進んで居られるところ道端に飢えと寒さに息絶え絶えの人が座って居り何故か乗って居られた黒駒がピタッと脚を止め進もうとはしない。太子は、ふと名状しがたい感じに打たれ思わず馬より降り、飢人に近寄られ名を尋ねられたが、最早や力も尽きて居ったのか、答えがなかった。太子は、哀れに思われと食物の飲物を与えられ、寒さに震えている飢人に着て居られた紫の御袍をお脱ぎになり手づから着せかけられ”安らかにお休みなさい”と仰せになり心を残し乍らその場を立ち去られ、翌日飢人の様子を視されられたところ、その飢人は既に死んで居り太子は大いに悲しまれ、その場に手厚く葬られ後、人々は達磨墳と呼んだ」
(達磨寺ホームページ)


・・・というのがこの歌の背景にあるらしい。




なんだかよく分からなかったが、とりあえず達磨寺に訪問




ところが、
なんと駐車場は車でいっぱい!!!

いやはや、達磨寺の駐車場が満杯で、停められなかった。


達磨寺ってそんなに人気スポットだったのか???




と、振り返ると小学校があり、秋の運動会が開かれていた。
(10月に訪問)



運動会を見に来た人たちの車が達磨寺に停められていたのだった。






どうしても達磨寺に行きたかったわけでもないので、すぐさま訪問を断念し、次の目的地に向かった。







B上宮遺跡公園

上記の日本書紀の歌碑があるとの情報があったので訪問。




繁茂する草木に埋もれかかっていた。



なんとか「親無しに・・・」が読めたので、
日本書紀の歌だと判明



「上宮遺跡公園」にはいろいろな歌碑があった。







C片岡台

北葛城郡上牧町に広がるニュータウンの名前。
ここに訪問して感じたのだが、その名のとおり「片方に傾斜した丘」であった。
先の@〜Bのどの場所よりも片方に傾斜していた。







どうも傾斜具合がよく分からないが、とりあえず撮ってきた写真を掲載しよう。 


























このページの作成はほんとにしんどかったです。




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