すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


川辺宿(岡山県倉敷市)











川の近くにあるので「川辺」という地名になったのかな。

川辺宿は、岡山県有数の大河である高梁川と、高梁川の支流で一級河川の小田川が合流するところに位置する。

2018年の西日本大豪雨では小田川の支流で堤防の決壊が起こり広範囲に冠水し、大きな被害が発生した。

地形的にも水害が起こりやすい。大規模河川の合流点にあること、合流地点から下流には左右に山が迫る狭窄部があり流下能力が不足すること、町内を流れる川が天井川になっていたこと。

このような悪材料がある中で、未曾有の大雨が降り、河川のバックウォーター現象が発生したもの。

西日本大豪雨による浸水被害は、河川管理が不十分だったからで、天災ではなく人災だとして住民達が国などを相手取り損害賠償の訴訟を起こしていると聞いた。

難しい問題であるが、このような場所は太古から災害が起こる場所であって、将来も災害は起こるだろう。自然の脅威は人知を超えて発生する。

そんな、昔なら河川の氾濫原だったようなところに西国街道の川辺宿はあった。

西国街道と大河の舟運の結節点ということで、往昔は栄えたに違いない。




川辺を詠んだ歌が伝わっている


白妙の浪もしづけき色見えて 川辺の里に咲ける卯の花 藤原隆教(夫木和歌抄)


千年経てひとたびすめる川辺川 君がいでますしるしなりけり 藤原為政(大嘗会和歌集)
千年も万年も流れている川であるが、このたびきれいに澄んだ川辺川――。
これは大君がご即位になったのをたたえる証拠であって、まことにめでたいことだ。
「おかやまの和歌」(岡山県郷土文化財団)


川辺川は高梁川のことらしい。








■川辺川と川辺の里を訪問


川辺川、こと高梁川



左、川辺橋と右、新川辺橋、左岸より撮影



ふたつの橋を右岸から撮影



【悲報】2023年5月、大雨により川辺橋が傾いた。復旧まで数年かかるらしい。(TBSテレビより)



川辺宿の東の入り口。ここから宿場町が始まった。



高梁川の土手に山陽街道一里塚の石碑



本陣跡の石碑



本陣跡の様子、普通の道路になっていた



これは高梁川の支流の小田川。水害のときはバックウォーター現象を起こした

















■川辺宿と横溝正史


さて、江戸時代の宿場町の中で大名や幕府役人などが宿泊したのが本陣で、明治時代になって本陣は廃止された。

川辺宿の本陣を経営していた一族は、明治の水害で近郊に居宅を移したのだが、その旧本陣宅で起こった殺人事件を小説化したのが横溝正史の「本陣殺人事件」。

横溝正史は戦時中、川辺に疎開していたことから、この地で着想を得たもの。「金田一耕助シリーズ」の第一作である。

「本陣殺人事件」には、川辺宿の周辺の様子が描かれている。




高梁川の土手の道。右手の坂道を下っていくと川辺宿に通じる
冒頭の乗合バスが事故を起こしたのはこの辺り



一直線の道、金田一耕助が自転車で走った道



そして問題の一膳飯屋がここにあった
三本指の男が寄った店



向かいの役場は取り壊されて現在は公園となっていた



公園の場所にあった看板
「名探偵金田一耕助 誕生の地」とのこと



横溝正史疎開宅、一般公開されている



この竹藪の場所に一柳家の屋敷があった



屋敷跡を反対側から撮影、家庭菜園になっていた











金田一耕助のウォーキングマップがあった






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