すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


河内大橋(大阪府柏原市)




奈良時代、いまの大阪府柏原市付近の大和川に架かっていた橋。

柏原市付近といえば、大和川の水量も相当なものだし、川幅も結構ある。
そんなところに奈良時代に橋が架かっていたとは俄かに信じられないのだが、さぞかし渡来人が持ち込んだ最新の土木技術で築いたのだろう。

橋が架かっていた場所については、いろいろな見解があるようだが、そのうちの一つ、河内国分と高井田を結ぶ国豊橋あたりを探索してきた。









JR高井田駅に到着

221系 大和路ライナーが通過した。



高井田駅前。すぐ前が大和川。大和川の向こう岸が河内国分の町並み。川の右手にチラッと見えているのが現在の国豊橋。



これが国豊橋全景。
こんなところに河内大橋が架かっていたとは!



国豊橋から上流を望む。



河内国分側から上流を望む。
万葉故地である「島山」「竹原の井」「畏の坂(亀の瀬」などがこのすぐ上流にある。




河内大橋を詠んだ歌


 級照(しなて)る 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗りの 大橋の上ゆ 紅(くれなゐ)の赤裳裾引(あかもすそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす児は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の独りか寝らむ 問わまく の 欲しき我妹(わぎも)が 家の知らなく
万葉集
 片足羽川の赤い丹塗りの大橋の上を、紅の裳裾を引き、山藍で摺り染めにした衣を着て、ただ独りで渡って行かれる娘は、結婚しているのだろうか、独りで寝ているのだろうか、訊いてみたい、彼女にしたい子だけれど、住んでいるところを知らない
(柏原市ホームページの訳文)
※「片足羽川」は大和川のこと。


柏原市の安堂の交差点に歌碑



これの反歌

大橋の頭に家あらばま悲しく ひとり行く子にやど貸さましを 万葉集
大橋のたもとに私の家があったなら、切なく愛おしく、ひとり渡って行く子に宿を貸すものを
(柏原市ホームページの訳文)



近鉄河内国分駅前に歌碑



歌意としては、河内大橋がどうのこうのではなく、女の子に声を掛けてナンパしたいな〜という気持ちを表現したもの。













明治時代まで渡し船があったらしいです。
そんなところに橋を架けていたとは大したもんです。



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