すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


恵林寺(えりんじ)(山梨県甲州市)









恵林寺四脚門(通称赤門)、国の重要文化財






現在の5千円札の肖像は樋口一葉。
明治期の女性小説家である。
代表作「たけくらべ」は伊勢物語の筒井筒を題材にしたもので、お気に入りの小説だ。
そんな樋口一葉の両親は甲州出身のため、しばしば一葉の作品は甲州が舞台となって登場する。
一葉23歳の時の小説「ゆく雲」の主人公は甲州出身。「ゆく雲」の冒頭部分に甲州の名所旧跡が列挙されている。ただし良い意味ではなく、甲州の名所はショボいということを伝えている。

「ゆく雲」(冒頭)
酒折の宮山梨の岡塩山裂石さし手の名も京都人の耳に聞きなれぬは、小仏さゝ子の難所を越して橋のながれに眩めき、鶴橋駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし。甲府は流石に大厦高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人はあるまじ
(後略)

恵林寺の桜も、馬車や人力車に揺られていくほどではないと断じている。
まあ、多分それは正しかったのだろう。
















恵林寺は鎌倉時代の創建。応仁の乱で一時廃れたが、戦国時代に武田氏の菩提寺となり再興。武田信玄の死後、長男勝頼は盛大な葬儀を執り行った。

しかし武田勝頼は武運拙く、天目山で一族が滅亡。
武田氏を滅ぼした織田軍勢は恵林寺を焼き討ちにした。
三門に追い詰められた住職の快川和尚の振舞いは圧巻である。

安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し 快川和尚

の句を大喝一声し、弟子と共に炎に包まれたとか。
(安禅不必須山水 滅却心頭火自涼)




これが現在の三門。実にバランスの良い造りである。




三門の右手に「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」を刻んだ石碑、三門の柱にも同じ文言が書き付けられている。






いやはや感動の訪問であった。もうこれで帰ってもいいかなと思った。






恵林寺には、ほかにも快川和尚と武田信玄のエピソードがある。

ごく簡単にまとめると、

・信玄が恵林寺の近くを通ったときに、
・恵林寺の快川和尚からちょっと寄りませんかとの誘いがあったが、
・信玄は、次の戦いが終わったらお訪ねしますと答えたものの、
・さらに快川和尚から「両袖の桜」が見頃だと重ねて誘いがあり、
・信玄は、ここまで言われて断ったら野暮だと思い、恵林寺に立ち寄った。

そして恵林寺での花見の宴で詠んだ歌

誘はすはくやしからまし桜花 さねこん頃は雪のふる寺 武田信玄
お誘いがなかったらさぞ心残りであったろう。やってこなければ
桜花は雪の降るように散りすぎていたであろうから
「甲陽軍艦」(ちくま学芸文庫)


境内に歌碑


※「両袖の桜」とは、恵林寺創建時に遡る有名な桜


武田信玄が即興でこんな歌を詠むとは、まさに文武共に優れていたのだろう。













さて、恵林寺は江戸時代の甲斐八景にも選ばれている。


「恵林晩鐘」
静かなる夕の鐘の声聞きてみれば心の池もにごらず 外山光顕(甲斐八景)


境内に歌碑






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恵林寺の門の長道二側に栗の並木は落葉せりけり 伊藤左千夫









甲斐叢記(甲斐名所図会)  「恵林寺」

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樋口一葉が死んだのは24歳と早すぎ。
もっと作品を残してほしかったです。






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