すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


景徳院(けいとくいん)(山梨県甲州市)








武田勝頼像、JR甲斐大和駅北側ロータリー





天正10年、織田軍の侵攻により、武田勝頼は自ら新府城に火を放ち、一族とともに家臣の小山田信茂を頼って岩殿山を目指したものの、信茂に裏切られ、ついに景徳院で武田一族は滅亡した。






【景徳院】

山門。とても立派で趣があり、由緒がある様子だった。




本堂




武田勝頼の生害石、自刃した場所らしい。




勝頼の妻、北条夫人の生害石




武田勝頼、同夫人、武田信勝(勝頼嫡子)、三人を祀ったお地蔵。三体とも首がない。





三人の辞世


朧なる月のほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山の端 武田勝頼

黒髪の乱れたる世ぞ 果てしなき思ひに消ゆる露のたまの緒 北条夫人

あだに見よ 誰もあらしの桜花 咲きちるほどは春の夜の夢 武田信勝


境内に三首の歌碑




同所に北条夫人の辞世のみの歌碑














景徳院門前を流れている日川の急流は、北条夫人の侍女たちが身を投げた場所。姫ヶ淵と呼ばれる。



現在の姫ヶ淵。上流にダムができたせいなのか、季節的な理由なのか、急流ではなかった。




圧巻は、景徳院門前の駐車場に設置されている巨大なレリーフ。
北条夫人と16名の侍女、計17名の姿。
実に心を揺さぶられるものがあった。
















戦後、武田勝頼を滅ぼした織田信長が詠んだ歌


勝頼と名乗る武田甲斐もなく いくさに負けて信濃なければ 織田信長
「勝」が付く名の武田勝頼よ、戦いをしたかいもなく負けて、領地だった
甲斐も信濃もなくして、かっこわるいことだよ。(戦国武将の歌/笠間書院)



















一族滅亡の地には、なにか胸を打つものがあります。







copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.