すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


毛馬(けま)(大阪市都島区)





春風や 堤長うして 家遠し 与謝蕪村


毛馬の淀川堤防上に句碑と蕪村生誕地碑


大阪市都島区の毛馬は与謝蕪村の生誕の地である。

ただし、この「春風や〜」の句は、蕪村が子供の時に淀川の堤防を歩いて遠い家まで帰ったのを追憶して詠んだものではない。

「春風馬堤曲」という叙事詩の中で、大阪に奉公に出ていた若い娘が藪入りの里帰りに長柄の堤防を家路に急ぐ情景を詠んだもの。

とにかく、毛馬という集落は昔からこの地にあるが、大阪の市街地からそれほど遠くなく、「堤長うして家遠し」という位置関係ではない。若い娘の実家は枚方とか、もっと遠いところにあったのだろう。

また淀川は明治時代に新淀川ができて大きく流れを変えており、この若い娘が通った堤防は、現在のようなまっすぐの堤防ではなかったのだろう。




■現在の毛馬の堤防


淀川左岸の堤防上にて。堤防が川上方面にまっすぐに伸びる。堤防の左が淀川で、右手は毛馬の集落。




句碑との位置関係




句碑の右に「蕪村礼讃」というタイル碑があった。
上記「春風や〜」の句を含む「春風馬堤曲」の説明文があり、なかなか参考になった。






■すぐ近くに蕪村公園があり、蕪村の顕彰施設が整備されている。


蕪村関係の資料は質量共にすごいものがあった。
ずっと見ていても飽きない内容だった。




句碑は13基。まるで墓標のようになっていた。




「学問は」




「花見画賛」




「奥の細道図(旅立ち)」




淀川両岸一覧(毛馬)




蕪村像






とにかく公園内にこれだけ設置されているので圧巻だった。















■ 毛馬閘門



現在では、毛馬と言えば「毛馬閘門」だろう。
普段は、淀川から水位の異なる大川へ流れる水量を調節している。
あと、大川が洪水になったときに淀川へ排水させる設備もある。




これは淀川と大川間の船を通すところ




水門と閘門の設備(淀川側から)




淀川大堰
大阪の上水道を支えている
大河川ならではの光景




淀川の下流方面を望む




毛馬閘門から淀川の上流方面を望む




















ダムとか堰とかが大好きです






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