すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
吉備の児島(岡山県倉敷市)
「むかし、児島は島だった!」
絵図は児島商工会議所より
古事記の国生み神話では、 いやはや吉備の児島は本当に由緒深い島だった。 上記の鳥瞰地図は現在の児島半島の南方の上空から中国山地を眺めたもの。中国山地を越えて日本海まで見える。水平線上に浮かぶ島は隠岐の島だろう。 そして、手前の島が吉備の児島。現在は本州と繋がり、児島半島になっているが、当時は瀬戸内海に浮かぶ島であった。瀬戸内海を航行する船は、本州と児島の間の水道を通っていったらしい。 吉備の児島が本州と繋がった理由として、@たたら製鉄による森林伐採ではげ山となった山地から土砂が流出して堆積したもの、A中世の藩政による干拓事業によるもの、B縄文海進の反動による汀線の前進等がある。 そんな吉備の児島は万葉集の時代から歌枕である。 吉備の児島を詠んだ歌 |
波の上ゆ見ゆる児島の雲隠り あないきづかし相別れなば | 万葉集 |
次の二首は、実は九州の大宰府で詠まれたもの。 大宰府の長官であった大伴旅人が、任期を終えて大和へ帰るに際し、現地妻であった児島と別れを惜しんで詠み合っている。 なんてことはない。たまたま女性の名前が児島だったので、吉備の児島と掛けたもの。 |
大伴旅人(万葉集) | ||
(私訳)大和へ向かう途中にある吉備の児島を過ぎるとき、 筑紫国の児島(現地妻)のことを思い出すだろう。 |
筑紫娘子児嶋(万葉集) | ||
(私訳)大和へ向かう道は雲で隠れてます。 けれど別れのため袖を振っていることを無礼と思わないでください。 |
行末の心づくしに大和路の吉備の児島は霞こめたり | 藤原知家(夫木和歌抄) |
ついには、吉備の児島の枕詞的に大和路が使われるようになった。 ■現地へ訪問 ![]() 吉備の児島は本州と陸続きになってしまい、実際にどこを目指して訪問したらよいか分からなかった。 とりあえず上記万葉歌碑がJR児島駅前に設置されているので行ってきた。 ![]() 駅前は閑散としていた。 停まっていたバスは児島名物のブルージーンズをあしらったもの。 ![]() 現在では、児島と言えばジーンズだろう。 いったいどんな歴史があって児島はジーニストの聖地になったのだろうか。ブラタモリで是非採り上げてもらいたい。 ![]() これは写真左の児島市街地とその前の海を撮ったもの。鷲羽山にて。 本文とはあまり関係ありません。 |