すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
菊川(静岡県島田市)
東海道、菊川の宿場町は、静岡県の菊川市ではなく、となりの島田市にある。なんでやろ。 そんなことも知らず、菊川市のホテルに予約をしたところ、全くちぐはぐなスケジュールになってしまった。 |
さて、昔からの東海道の宿場であった菊川にはいろいろなエピソードが伝えられている。 時に承久三年、中御門宗行卿は承久の乱れに、鎌倉に捕われ、東に下りたまう時に、この菊川に宿り、「承久記」 |
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中御門中納言宗行 | |
昔南陽県の菊水 下流に及んで齢を延べ 今東海道の菊川 西岸に宿して命を失う |
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【意訳】昔中国の南陽県の菊水は長寿の川で、住民は下流の水を汲んで長生きしたというが、今ここ東海道の菊川の西岸に宿泊する私は、罪を得て命を失う身の上 (新訂 東海道名所図会[中]) |
中御門宗行卿は承久の乱で捕まり、鎌倉へ送られる途中、菊川で上の漢詩を詠み、宿の柱に書きつけた。 ところが、数年後にこの宿は火事で焼けたという。 この火事のあと、ここを通った「東関紀行」の作者は 今はの限りとて残し置きけん形見さえ跡なくなりにけるこそ はかなき世のならい いとゞ哀れにかなしけれ |
書きつくる形見も今はなかりけりあとは千年とたれかいひけん | 東関紀行 |
まだまだ続く 中御門宗行卿が宿の柱に詩を書き付けてから約100年後。 今度は元弘の乱(後鳥羽上皇が鎌倉幕府の討滅をはかった乱)で罪をえた日野俊基が、同じように鎌倉へ移送され、菊川の宿に泊った。 この宿にて「昔南陽県菊水」という四句が書き付けられたことを思い出し、 遠きむかしの筆の跡 今は我が身の上になり 哀れやいとゞまさりけん 一首の歌を宿にぞ書かれける「太平記」 |
いにしえも かかるためしを菊川の 同じ流れに身をやしづめん | 日野俊基 |
こんな感じで、菊川宿は罪人が鎌倉へ送られる道中、何かと悲嘆に暮れる場所であったらしい。 |
さて、十六夜日記の作者の阿仏尼は菊川の川音の激しさに驚いている。 |
渡らむと思ひやかけし東路にありとばかりはきく川の水 | 阿仏尼 |