すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


岐尼神社(きねじんじゃ)(大阪府能勢町)







おのづから神の心にならはしのきねが宮居の月ぞさやけき 歌枕名寄







私は大阪府南部在住なので、北部地域の土地勘は全然無い。

今回の訪問に際し改めて地図で確認したのだが、能勢町という町は大阪の北部に袋小路のような形でくっついている田舎町。

予想に反し、山また山の山岳地帯ではなく平地はそれなりにあって豊かな田園地帯が広がっていた。谷底平野だろう。

中世の、工業も商業も未発達な米本位制の世界では、田んぼが広がる農村地帯は豊かな所領地だったのだろう。

仕事を引退したらこんなところで田舎暮らしをしてみたいと思った。

そして大阪府は南北に長いことが今回の訪問でよく分かった。





訪問したのは岐尼(きね)神社。
現在では大阪府の最果ての地の名も無き神社であるが、境内の案内板を読んでみると歴史上それなりに存在感があったようだ。

岐尼神社

当社は、旧来枳根庄内にあって、能勢町森上の地に鎮座し、『延喜式神名帳』能勢郡の条には『岐尼神社』と見える。祭神は『天孫瓊々杵尊』、中臣氏の祖神である『天児屋根命』、大名草彦命の子『枳根命』と『源満仲』で、『岐尼・枳根・枳禰。杵宮』、或いは『杵大明神』と称していた。
『瓊々杵尊』といえば、天孫降臨の神話にある神であるが、ここにも天孫降臨の説話がある、すなわち、岐尼神が南の小丘に降臨したもうたとき、土民は臼の上に杵を渡し、荒菰を敷いて迎えたという。『杵』、『杵尊』のひびきは社名の起因と考えられる。
また、天降った丘を今も『天神山』と呼んでいる。社記によると、延暦元年(782)の創祀以来、代々朝廷の勅願所であり、また将軍家代々の御祈願所であったという、また祭神に加わった『源満仲』については、多田の地に入部以来家臣の多くが当地に入り、開発治世にあたったその君恩を子孫に伝えるためといわれている。
(後略)






社頭




社殿


まさしく田舎の鎮守社であった。









明治の宮内庁歌所の寄人であった阪正臣が詠んだ歌が残っている


初時雨ふる日にわけてまつ茸の かをりに酔いき枳根(きね)のやま道 阪正臣
道もせに咲けるちと勢の菊の露 わけてぞ訪ひし仙人の郷


境内に二首併刻の歌碑


















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