すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


金華山(岐阜県岐阜市)





立別れいなはの山の嶺におふる松とし聞かは今かへりこむ 在原行平(百人一首)


百人一首の有名な別れの歌であるが、これが岐阜県の金華山の歌だとする説があり、困惑している。


たしかに稲葉山は金華山の古称で、山麓には伊奈波神社が鎮座しているのでそれなりの説得感がありそうだ。
しかし在原行平の歌については、行平が因幡国守として赴任(帰任の際?)するときの別れの歌であり、「いなば」つながりであるが全く別のもの。


そもそも金華山の方の稲葉山は、鎌倉時代の御家人の稲葉氏が砦を設けたのが、その名称の起こりとされていて、また伊奈波神社にしても記録として残っているのは戦国時代の斎藤道三が現在地に遷座して以降のことであり、創建のころについてはよく分かっていない。


一方、在原行平が因幡国守になったのは855年、平安時代の初期のころ。時代的にもまったく合わないのだが。



多分、因幡国のような辺境の地の歌にしては出来過ぎた歌だということで、安易に金華山の方が「ゆかりの歌」として拝借したのだろう。
(岐阜市のホームページ「岐阜城跡の調査」にも載録)


なお伊奈波神社のホームページは、正直に、美濃路を旅行したことが確定的な二人(三首)の和歌のみ掲載している。(下掲)




因幡山のふもとを過ぐる路なり。此の山は奥州より
金の化来せるよし、因幡社の縁起にありとかや
峰に生る松とは知るや因幡山 黄金花咲御代の栄を 一条兼良(藤川の記)



早苗取る麓の小田に急ぐなりそよぐいなばの峰の松風 一条兼良(藤川の記)




やどりける家ゐより城郭の見へ侍るに
ここをなむいなば山といふといひければ
千里までなびきにけりなそぎたついなばの山の風のまに 兎庵老人(美濃路記行)





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正徹のこの歌も詞書からして確定だろう



美濃国稲葉山に社ありとて人の法楽の歌すゝめ侍りける中に
言の葉を手向の神の惠みをやいなはの山のまつことにせん 正徹




とにかく稲葉山と松はセットになっていたようだ。





そんな稲葉山、現在名、金華山を激写


一番高い山。頂上に岐阜城が見える。



こんなかんじ



長良川と金華山



接写!



これは墨俣から見た金華山




木曾路名所図会「岐阜 稲葉社」 (早稲田大学図書館)

金華山の麓に鎮座する伊奈波神社












20代前半のころ、縁あって金華山に上りました。





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