すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


黄瀬川静岡県駿東郡



源平の争いのうち、「富士川の戦い」では、水鳥の羽音に驚いた平家が一夜にして逃げ去り、源氏の勝利となった。

源頼朝は「上洛していっきに平家を討て。」と命じた。
しかし千葉介常胤、三浦義澄、上総介広常らはこれに反対した。
まだ源氏に服属しない常陸の佐竹義政・秀義らが背後にいた。彼らを討ちとり東国を固めることが先決だと主張したため、頼朝はこれに従わざるをえなかった。
(参考資料)現代語訳「吾妻鏡」

中世、黄瀬川には宿場があり、源頼朝軍はこの黄瀬川宿に陣地を置いたようだ。



そして続いて、

今日弱冠一人、御旅宿ノミギリ(入り口)ニテ、鎌倉殿二謁シ奉ルベキノ由ヲ称フ。実平(土肥)、宗遠(土屋)、義実(岡崎)、等コレヲアヤシミテ、執啓(とりつぎ)スルコト能ハズ、剋(とき)ヲ移スノトコロ、武衛(頼朝)ミヅカラコノコトヲ聞カシメ給ヒ、年齢ノ程ヲ思ヘバ奥州ノ九朗カ、ハヤク御対面アルベシト云ヘリ。ヨツテ実平カノ人ヲ請ズルニ、ハタシテ義経主ナリ、即チ御前二マヰリススミ、タガヒ二往事ヲ談ジ、懐旧ノ涙ヲモヨホス(吾妻鏡)
富士川合戦の翌日、一人の若者が黄瀬川の陣を訪れて鎌倉殿にお会いしたいと申し出た。
しかし土肥実平・土屋宗遠・岡崎義実らは怪しみ取りつがなかった。
頼朝はこの事を聞いて「年のころを思えば奥州の九郎ではないか。会おう。」と
仰ったので、実平が案内したところ果たして義経であった。
義経は頼朝の御前に進み、互いに昔を語り合って涙を流した。 (参考資料)現代語訳「吾妻鏡」



と、こんな感じで源頼朝・義経兄弟は感動的な対面をした。

そしてなんと、対面した時に兄弟が座った石が現在でも残っているという。
はるばる大阪からこの「対面石」を見学しにやってきた。


駿東郡清水町にある八幡神社。この境内の奥に対面石がある。



これが対面石。
頼朝義経の兄弟がこの石に座って対面した。(らしい)
その時、頼朝は渋柿を食べたのだが、捨てた種から二本の芽が出て、ねじれるように育ったことから「ねじり柿」と呼ばれるようになった。
現在、対面石の後ろに柿の木が二本生えている。これはねじれていないようだ。



う〜ん、なんともな〜




なお、この兄弟の対面の場面は「吾妻鏡」に載っているもので、平家物語には書かれていない。











当り前だが、黄瀬川というところには、黄瀬川が流れている。
御殿場市に源があり、南へ流れ、沼津市で狩野川と合流する。

こんなかんじ



一般的な河川でした。









<近所の観光地案内>
【柿田川湧水群】
・名水百選
・富士山に降った雨水が地下水となり、この地で湧出する。
・柿田川公園として整備されており、市民の憩いの場となっていた。


なんだか英語風に言うとレインフォレスト。
熱帯雨林のような雰囲気。


この写真の30倍ぐらい美しい場所であった。







富士山周辺にはこんな所が他にもあるのかな?


















前日に飲み過ぎて、しんどかったです。





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