すさまじきもの ~歌枕探訪~


北の庄城址(福井県福井市)




学校で日本史を勉強せず、戦国時代の小説も読んでおらず、NHK大河ドラマも見ていないので、柴田勝家がどういう立場の人物で、どこで何をしたか、全く知らない。(名前は知ってる)


そんな戦国オンチの私が、柴田勝家の居城であった北の庄城の跡地まで訪ねて行ったのには別の理由がある。それは柴田勝家と妻のお市の方がこの北の庄城で詠み交わした辞世の句が素晴らしいと絶賛されて世に伝わっているからである。


ふたりが詠んだ辞世


さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 別れをさそう ほととぎすかな お市の方
夏の夜のほととぎすの鳴き声が、
別れの悲しさをさそっているように聞こえる
(現地の案内板の訳)
 


(返し)
夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす 柴田勝家
夏の夜のように短くはかない私の名を、
のちの世までも伝えてくれよ、山ほととぎす
(現地の案内板の訳) 
 



お市の方は、戦国一の美女で、しかも聡明であったとの評伝がある。
敵に攻められ、城にたてこもる混乱の中で、こんな辞世を詠めるなんて、すごく聡明で、強い精神力だと思う。さらに柴田勝家は武将として全軍を指揮しながらも、一方でお市の方が詠んだ句に対し絶妙な返歌をしている。いやはやとても人並なことではない。

正におしどり夫婦のような二人であるが、戦国時代の婚姻は政略結婚が主体だった時代で、なんと二人は結婚してまだ1年も経っておらず、夫婦の年齢差は25歳、お市の方は37歳で、三人の連れ子があり、現在の感覚からしてもいろいろクエスチョンマークがある。

まあ、「夏の夜」は短いことの象徴で、これは結婚生活が短かったという意味なのか、そして、「ほととぎす」は黄泉の国へ導いてくれる鳥とされており、とてもよく出来ている。

お市の方の三人の連れ子は、茶々、初、江で、北の庄城陥落前に逃げて生き延び、後年それぞれ重要人物に嫁いでいる。

現在、北の庄城址は公園として整備され、それぞれの人物の銅像が建てられているとのこと。とりあえず現地を訪問してきた。





【北の庄城址】 ・・・ 福井市中央1丁目1−21−17


その名も「柴田公園」というらしい。
北の庄城の発掘調査で出土した石垣や堀などが保存されている。



正面の建物は「柴田神社」。


柴田勝家像



お市の方像



三姉妹像(茶々、初、江)
左手のお市の方像を含めて、恐ろし気な空間であった。




いやはや、戦国武将ファンはもとより、お市の方ファンや大河ドラマファンが泣いて喜びそうな史跡として整備されていた。













戦国時代の小説を読もうかな






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