すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


清川(山形県庄内町)





山形県内を流れる最上川が、“五月雨を集めて早し最上川”と詠まれた急流部分の最上峡谷を抜け、まさに庄内平野に出んとする場所、そんな場所に清川の集落がある。
松尾芭蕉の奥の細道の旅では、最上峡谷を舟で下ってきて、清川の地で上陸し、ここから羽黒山に向かっている。
現在では、「松尾芭蕉上陸の地」の史跡が整備されている。


こんな感じ

それなりに力の入った史跡であった。



松尾芭蕉像



「五月雨を〜」の句碑



もう一枚貼っておこう






明治時代になって、松尾芭蕉の足跡を追って東北を旅した正岡子規。
同じく子規も最上川を舟で下っている。、最上川峡谷の織りなす幽玄な美しさに驚嘆した様子が、紀行文「はて知らずの記」に余すことなく書き記されている。

子規も清川で舟から上陸している。
子規は、この地は戊辰戦争の清川口の戦場跡であると聞いたようで、次の句を詠んでいる。

(ひぐらし)の二十五年も昔かな 正岡子規(はて知らずの記)

この25年とは、戊辰戦争の25年後に子規が訪問したということ。













えーと、清川は明治維新の立役者である清河八郎の生誕地でもある。
いや、立役者というか、ちょっと微妙だが、維新に至る大きな流れの中の一員であったことは確か。
清川八郎は、明治時代になって正四位が追贈されている。
それをきっかけとして、清河神社が創建され、清河八郎を祭神として祀っている。


清河神社



そして立派な銅像もあった。
まさに地元のヒーローだろう。
なお清河八郎は、もともとは斎藤姓であったが、のちに故郷の地名をとって清河八郎と名乗ったもの。



清河神社のとなりには清川八郎記念館もあった。



清川の集落の中にあった「清河八郎生家の跡」地。





こんな清河八郎が尊王攘夷の志を詠んだ歌が残っている。

くだけてもまたくだけても寄る波は岩角をしも打ちくだくらむ 清川八郎

大君のためにつらぬく壮夫のきたひためにしこのつるぎ太刀 清川八郎


いや〜素晴らしい!











清河八郎って、よく分かりません






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