すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


光明池(大阪府和泉市)




新しい技を習得しました。「系図」の作成です。
先ずエクセルで作り、「カメラ」機能で撮って、それをGIFファイルに転換し、コピーしてここに張り付けたもの。
一時間以上かかりました。

そこまでして作るほどの内容でもないのですが、自分自身、本当に日本史に弱いので、作りながら覚えるつもりです。






このページのテーマは、「光明皇后」と大阪府和泉市の「光明池」のつながりについてですが、結論から言うと、
@光明皇后は和泉市周辺で生まれたような伝説が残っている。
Aそんな伝説があった場所に作ったため池を、光明池と名付けた。
B今となっては「光明池」と「光明皇后」のつながりを知っている人は皆無。




とりあえず光明池に行ってきました。

大阪府で三番目の大きさのため池らしいです。



若いころに、仕事仲間とボートに乗って、ブラックバス釣りに来ました。
一日中ルアーを投げ続けましたが、当りもなく、ボーズでした。
ただし、現在でもブラックバス釣りのメッカです。



この写真は、「水土里ネット光明池」のホームページから転載しました。












光明皇后の歌

我が背子と二人見ませばいくばくか この降る雪の嬉しからまし 光明皇后(万葉集
朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我がやどの萩 光明皇后(万葉集)


光明皇后の歌と、地名としての「光明池」は全くつながりがありません。











とは言うものの、光明池の周辺には今でもいろいろな光明皇后にまつわる伝承地が残っています。

(その1)
和泉市国分にある「国分寺」が光明皇后の生誕地ということで生誕の石碑もあるらしい。

(その2)
光明皇后は、この国分寺の高僧の智海上人と、雌の鹿との間に生まれた子供との伝説。和泉市の浄福寺という寺に智海上人の像が残っているらしい。

(その3)
子供のころの光明皇后は光り輝いていたそうで、たまたま槇尾寺に参拝に来た藤原不比等に見初められて養女となった。見初められた場所は「照田光田」の地名が残り、光明皇后の所有地とされた。(和泉市室堂)

(その4)
都に向かう光明皇后を見送ったのが「雌鹿坂(めがざか)。バス停の名前になっている。

(その5)
伝説ではないが、天然温泉「スパ・リフレ」に光明の湯が湧いている。

ホームページの写真


行ってきました。
「源泉光明の滝」は干上がってました。
もう枯渇してきたんでしょうか?


天然温泉スパ・リフレ
大阪府堺市南区美木多上903?6

たまに行きます。


この写真にリンクを張ってます。









さて、そんな光明皇后はどんな人だったのか、興味あるところですが、現在の人が想像して描いたのがこれ。

「慈悲深く輝く光は麗わしの天平の美女」となっています。

これはとっても










光明池は大阪府堺市と和泉市の両市にまたがっていますが、
伝承地のほとんどが和泉市との関わりがあることから、
「和泉市」と片寄せしました。










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