すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


金龍寺跡(大阪府高槻市)




「摂津名所図会」ネタ

いやはや、「摂津名所図会」の名勝地の金龍寺を訪ねて高槻までやってきた。金龍寺は中世から天皇の御幸があるなど由緒正しき名刹であったが、戦国時代に焼き討ちにあったりして衰退と再興を繰り返してきた。そして昭和の世になって、心無いハイカーの火の不始末により焼失し(1983年)、廃寺となってしまった。現在では金龍寺跡として、これまたハイキングの休憩場所になっているらしい。


摂津名所図会「金龍寺」(早稲田大学図書館)

盛時には19の坊舎があったという。


そして江戸時代には松茸狩りの行楽地になっていたようだ。

摂津名所図会「金龍寺山 松茸狩」(早稲田大学図書館)

老若男女が松茸狩りに興じ、鍋の準備をしている人もいる。

ほんまに楽しそう!









さて、金龍寺跡を訪ねるといっても、ハイカーになって山道を登っていくほどの気持もなく、いつもの如く、遠くから眺めることとした。

麓の案内板にあった地図。1.2キロの行程のようだ。



山の西側から撮影


この山の山腹に金龍寺はあった。




いろんな歌が残っている。


山ざとにまがふてよみ侍りける
山里の春の夕暮れきてみれば入相の鐘に花ぞ散りける 能因法師(新古今)


この歌の鐘は、金龍寺の鐘とされている。
桜の名所でもあったらしく、鐘楼の傍らに「能因桜」が植えられていたと伝えられている。




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春風に今は氷も玉坂の池のおもてはきざ波ぞうつ 藤原家隆(玉葉和歌集)
うき世には有りえんこともたまさかのいけらんとだに思ひやはする 和泉式部(夫木和歌抄)
たまさかに見るだにさびし世のつねの雪のみやまを思ひこそすれ 千観(続古今和歌集


金龍寺は、「邂逅山(たまさかざん)紫雲院」と号したから、「たまさか」が掛けられているようだ。









びっくりしたのが、新名神高速の建設が進んでいて、なんと金龍寺の山をくり貫いていたこと。

山の南側から撮影


こんなかんじです。












たしかに家族連れのハイカーがそこらかしこに歩いてました。






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