すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
岫が崎(静岡市清水区)
「岫」と書いて、「くき」と読む。 「岫が崎」は忘れられた地名である。 東海道の難所「薩た峠」の下の海岸付近のことで、中世までは街道として人々は磯間を歩いていたらしい。 その後に地形が変化し、海岸沿いは通れなくなったようで、「薩た峠」を越えていく道になったようだ。 「東関紀行」(13世紀初め)では くき崎というなる荒磯の、岩のはざまを行き過ぐるほどに、沖つ風はげしきに、打ちよる浪も隙(ひま)なければ、急ぐ汐干の伝い道、かいなき心地して ・・・
・・・とある。 薩た峠をこえていく様子は広重の浮世絵(東海道五十三次)に描かれている。(WIKIPEDIAより) ![]() (左上の崖の上を人々が歩いている。) ただ、その後に大地震が起きて、「岫が崎」の海岸が隆起したようで、現在ではそこを東海道本線、東名高速道、国道一号線が通っている。 ![]() 「薩た峠」から富士山を望む予定が、見えなかった。 この下が「岫が崎」 |
波の花くきが崎よりちりくめりこずえも見えず風のはやきに | 堀川院中宮上総夫木抄 |
この「岫が崎」を違う角度から撮影しようとした。![]() 興津から「薩た峠」を越えて、由比にむかう山道から 「岫が崎」を振り返る。 雑草が多くてよく見えない。 ![]() これも。 国道が下に見える。 ![]() これこそ「岫が崎」。昔はこの磯間を歩いて通っていた。 「浪が引いた隙に・・・」渡ったとあるが、大変だったろう。 この峠道はこんな感じ。 ![]() みかん畑の中を通っていた。 ![]() 現在では、再び「薩た峠」の下、昔の「岫が崎」を鉄道、自動車が通っているが、「岫が崎」とは言わないようだ。 |
(追加写真) 富士山からの帰途、国道一号線バイパスを通り、まさに岫が崎を通ったので写真を撮ってきた。 ![]() 岫が崎に近づいている。右手に東海道本線、左手に東名高速。 まさに交通の要衝。 地震で津波が来て、ここが波に飲み込まれたら、日本の大動脈が切れてしまう。 ![]() 東名高速がダイナミックに交差。 まさに岫が崎。 ![]() 多分、薩た峠の真下がこの辺り。 磯間にて、波が引いたタイミングに通り越したと、中世の記録にある。 |