すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


熊谷(くまがや)(埼玉県熊谷市)








埼玉県熊谷市は、源平時代に活躍した熊谷直実の出生地。

熊谷直実は、前半生は源氏陣営の有力な武将、後半生は出家して法然の弟子となり仏道に生きた。

熊谷直実は、現在でも地元最大のヒーローである。熊谷市が生んだ一番の有名人である。(二番手はダンプ松本か)

とりあえず熊谷直実の生涯の足跡を摘記する

・平安時代末期、1141年に武蔵国熊谷郷にて誕生。桓武平氏の係累。

・石橋山の戦いの後に源頼朝に仕え、有力な御家人となる。

・一の谷の戦いでは、鵯越を逆落としに下り、一番乗りを果たす。

・須磨海岸を敗走する平敦盛を呼び止め、涙ながらに敦盛の首を切った。

・源平の戦いの活躍で、源頼朝をして「日本一の剛の者」と言わしめた。

・その後、源頼朝の命令を拒否して所領を没収され、領地問題の訴訟に際し源頼朝の前で髪を落とし、出家した。

・1193年頃、法然の弟子となり、連生と名乗り、修行に明け暮れる。

・いくつかの寺院を開基し、余生は熊谷郷に戻って熊谷寺(ゆうこくじ)で念仏三昧の生活を送った。

※ 熊谷直実の生涯は、熊谷寺のホームページに詳述されている。









熊谷直実、出家後は蓮生上人、が詠んだ歌


いにしえの鎧にまさる紙衣かぜの射る矢もとふらざりけり 蓮生(熊谷直実)


浄土にも剛の者とや沙汰すらん西に向かいて後ろ見せねば 蓮生(熊谷直実)
(私訳)極楽浄土ても郷の者と噂されているであろう。西に向かって決して背中を見せないのだから  



阿弥陀如来は西のほうの極楽浄土にいるとされる。
蓮生が京の都から馬に乗って熊谷郷へ戻る際、東に向かっていくので、普通なら背中は西を向くのであるが、蓮生は、どうして阿弥陀仏に背を向けられようかと、馬の鞍を逆さにおいて、西の方へ向きながら、熊谷郷へ向かったもの。



熊谷直実像


JR熊谷駅の北口にあった



熊谷寺
閉まっていた



熊谷寺のすぐそばを中山道が通っていた
八木橋百貨店の前に「旧中山道」の碑があった
















熊谷市のゆるキャラは「ニャオざね」
熊谷直実と猫が合体したもの


いろんなキャラクター商品が販売されている



ニャオざね、仕事中



ラガーマンのニャオざね















■ 熊谷ゆかりの歌


くまがやの道のくまびにさく花を折てぞしのぶひとりし行けば 建部凉袋
江戸時代中期の俳人
1766年に熊谷を訪れた建部凉袋が、熊谷堤で詠んだ歌




熊谷の見えて長閑けし芥子の花 中村碓嶺



熊谷もはては坊主やけしの花 横井也有



熊谷の堤あがればけしの花 許六



我も其 阿弥陀笠きて 咲く花に うしろハ見せぬ 熊谷さくら 三陀羅法師
江戸時代後期の狂歌師



うららかに春はさむさもうすすみに霞いろとるくまかへの宿 十返舎一九



熊谷の宿に名高き故にこそよくもうちたりあつもりの蕎麦 十返舎一九
『続膝栗毛』の中の弥次さんが熊谷宿の蕎麦屋「梅本」を訪れた時に詠んだもの



行く先も熊谷さくら咲きぬらし春の眺めは深谷と思へば 置石村路
江戸時代の狂言師



熊谷蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ 宮沢賢治


八木橋百貨店の前に歌碑



武蔵の国熊谷宿の蠍座の淡々ひかりぬ九月の二日 宮沢賢治


八木橋百貨店の前に歌碑








渓斎英泉 「木曽海道六十九次 熊谷宿八丁堤景」

Wikipedia(熊谷宿)














神戸市の須磨寺に、熊谷直実と平敦盛の素晴らしい立像があります





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