すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


恭仁京(京都府木津川市)




いやはや、歴史上にこんな都があったとは、ほとんど忘れていた。

恭仁京と書いて、「くにきょう」と読む。

奈良時代の一時期に平城京から遷都されたが、3年ほどで都の造営は中止されて、そのあと都は難波宮へ遷っていった。

時の天皇は聖武天皇で、のちに奈良の大仏を造立している。






2016年2月に恭仁京に訪問


恭仁京跡
なんとも殺風景であるが、古き都の跡はこんな感じなのだろう。





七重塔跡の礎石、らしい。





大極殿(金堂)跡の石碑
本当に物悲しい雰囲気である。




Wikipediaの写真
山城国分寺(恭仁京)復元模型。築地に囲まれているのが金堂(大極殿)。右が七重塔。京都府立山城郷土資料館





恭仁京の背後の丘陵地から撮影
写真中央の集落付近が恭仁京跡で、その向こうの低地を木津川が左から右に流れる。




恭仁京を詠んだ歌


今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし 万葉集


恭仁大橋北詰に歌碑

これは恭仁京の造営を寿いだ歌



******



その後、古き都は朽ち果てて、

泉川かは風寒し今よりや久迩の都は衣うつらん 宗尊親王

泉川いつより人のすみたえて久迩の都は荒れはじめけん 源兼氏


 












特に思い入れも何もありません。





copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 〜すさまじきもの〜 all rights reserved.