すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


倉科の里(長野県千曲市)







人皆の言は絶ゆとも埴科石井の手児が言な絶えそね 万葉集


倉科公民館に歌碑

倉科公民館の万葉歌碑の傍らにある案内板に解説文があった。

 倉科区は古くから九条城興寺領倉科の庄「石井の里」と称されています。
 万葉集にある石井は区の中央に存在している倉科神社(旧石井神社)旧倉科小学校跡(現在の公民館)の地籍であるといわれています。
 また一説には石井の転化語(石井のことばの音がなまって石杭と変わった)となった現在の大日堂園地を中心とした石杭の地籍であると考えられています。いづれにしても埴科の石井は倉科地区全体をさしていったのではないかと思われます。
 比等未奈乃 許等波多由登毛 波尓思奈能
 伊思井乃手児我 許等奈多延曽称
(人皆の言は絶ゆとも 埴科の石井の手児が 言な絶えそね)
歌の意味は「世の人のすべての言葉の往き来は絶えようとも埴科の石井にいる美しく愛らしい乙女の言葉 言い伝えはどうか絶やさないでほしい」ということです。
 現在万葉歌碑が石杭の大日堂園地泉のほとりと倉科公民館前庭の一角に建立されています。石杭の歌碑は松代藩主真田幸弘お抱歌学者 大村光枝とその門人によって建てられたと思われます。公民館前の歌碑は平成二年三月当時の区役員や史跡保存会員らによって建立されました。






この歌の女性が住んでいた埴科の石井の里は、現在は倉科の里と呼ばれる集落となっている。三方を山に囲まれた囲繞景観であり、隠れ里のような地域だったようだ。



倉科の里へ続く道




集落の入り口辺りに大きな石碑があった。




倉科公民館。ここは昔の石井の地籍らしい。歌碑もここにある。




道を挟んで倉科神社。




倉科神社の境内





















さて、「埴科(はにしな)の石井」が現在では「倉科(くらしな)」にある。
長野県以外の人にはちょっとややこしい。
それはそうと、この信濃国特有の「〜科(しな)」という地名に興味があったので調べてみた。
(この程度整理したところで取り敢えず満足してやめた)

駄科 だしな 飯田市
妻科 つましな 長野市
信級 のぶしな 長野市
保科 ほしな 長野市
更科 さらしな 長野市、千曲市
埴科 はにしな 長野市、千曲市
倉科 くらしな 千曲市
波閇科 はべしな 千曲市
浅科(合成地名) あさしな 佐久市 浅間山と蓼科山から一文字ずつとった
立科(蓼科) たてしな 立科町
明科 あけしな 安曇野市
豊科(合成地名) とよしな 安曇野市 鳥羽・吉野・新田・成相の頭文字をとった
仁科 にしな 大町市

「しな」は坂のことらしい。
信濃も「しな」である。








さて、倉科を詠んだ歌を“発見”した。


しなのなるあかしの松のありながら なぞくらしなの里といふらむ 西行
(私訳)信濃には明しの松があるのに、どうして暗いに通ずる倉科の里があるのか  
倉科の大日堂に歌碑があるらしい













このページ、なんだか分からないページになりました






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