すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
倶利伽羅峠(富山県小矢部市)
え〜と、歴史上ここでは、源平合戦以外に何もなかったのかな。 倶利伽羅峠は、標高300メートルもないとは言え、峠道は痩せた尾根沿いの難所であり、しかも加賀と越中の国境であるし、なにかしらエピソードがあっても良さそうだが、いろいろと資料を渉猟したものの、見つけることができなかった。 戦国時代末期、加賀前田と越中佐々の戦いは、惜しくも倶利伽羅峠でなく、ずっと北の末森城で行われた。 著名人の通行も少なく、そのため紀行文も詠歌もほとんど確認できなかった。 (地元の図書館や、専門の研究者はいろいろと資料を持っているのだろうが) そういうわけで、現在の倶利伽羅峠は源平合戦一色であった。 2017年の夏に、訪問した。 【道の駅 倶利伽羅源平の郷】・・・石川県津幡町竹橋西239-14 ![]() 道の駅が源平合戦の資料館のようになっていて、とても楽しめた。 ![]() 木曽義仲軍で活躍する火牛があった 【倶利伽羅県定公園展望台】 ![]() 平家軍は、真夜中の義仲軍の総攻撃に逃げまどい、全軍が地獄谷に落ち込み壊滅してしまった。 ![]() 展望台から見える地獄谷。 ![]() 案内板 ![]() 現地案内板 黄色の矢印が源氏の行軍で、薄紫の矢印が平家の退路。 追われた平家は地獄谷へ落とされた。 【源平古戦場本陣跡】 ![]() ここはいろんな史跡が整備されている。 ![]() 「源平古戦場跡碑」 ![]() 火牛像 ![]() これも ![]() なんとこれは源平盛衰記の倶利伽羅峠の戦いの部分を記した文学碑。 すごいスケールだった。
![]() そしてこれは平家物語の文学碑
【埴生八幡宮】・・・富山県小矢部市埴生2992 ![]() 倶利伽羅峠の戦いの前に木曽義仲は当社で戦勝祈願した。 ![]() 木曽義仲像があった。 ![]() これはすごい! 倶利伽羅峠を詠んだ歌 |
商いに利生ぞあらん 倶利伽羅の不動の前の茶屋の賑わひ | 十返舎一九 |
この歌は源平合戦とは全く関係がないが、十返舎一九が倶利伽羅古戦場、倶利伽羅不動明王に参詣したときに、ここの不動の茶屋の繁昌ぶりを詠んだ。![]() 不動茶屋の跡地。いわゆる峠の茶店がここにあったのだろう。 芭蕉の句 |
義仲の 寝覚の山か 月かなし | 松尾芭蕉 |
実はこの句は倶利伽羅峠で詠んだものではなく、越前の燧ケ城で詠んだもの。![]() 本陣跡辺りに奥の細道の短冊があった。 芭蕉もここで気の利いた句を残してくれたら良かったのに。 忘れていた。 万葉集でも倶利伽羅峠が詠まれていた。 この峠を関所と見做し、「砺波の関」と表現している。 |
焼大刀を 砺波の関に 明日よりは 守部遣り添へ 君を留めむ | 大伴家持(万葉集) |
都へ帰る人に対し、関守の人数を増員して、あなたが帰れないようにしようと、別れを惜しんでいる。 実際には当時関所はなかったらしいが。 「焼太刀」は「研ぐ」の枕詞で、砺波の「と」を導いている。 いつもこの歌を見ると、「焼いたタチウオ」を想像してしまう。 ![]() 富山県小矢部市蓮沼に史跡がある。「砺波の関」碑の下部に上の万葉歌が刻印されている。。 経緯度は、 36.655212, 136.846879 ![]() 「砺波の関」の史跡から倶利伽羅峠へ続く道 |