すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


黒津の里(滋賀県大津市)







(詞書)
束並(つかな)みといふ物の(うへ)に夜ごと寝て旅(かさ)なる
ままに(あや)しげになりけるを見て、俊重が詠める


束並(つかな)みの(うへ)夜夜(よるよる)旅寝して 黒津の里()れにけるかな 源俊重(散木奇歌集)


と詠めるを聞きて和し(はべ)りける

束並みの上は黒津になるれども (した)根草(ねくさ)にしくものぞなき 源俊頼(散木奇歌集)





え〜、「束並(つかな)み」というのは、藁で編んだ敷物のこと。

源俊重は源俊頼の子。

源俊頼は、父経信の代より田上の地と関係が深く、黒津の里には俊頼の別荘があった。




詞書は、束並みという物の上に夜毎寝て、旅寝が重なるにつれて、見苦しくなった姿を見て、俊重が詠んだ、とある。

そして源俊重の歌は、束並みの上に毎晩寝ていたら、黒津の里らしく、真っ黒になってしまわれたようです。

すると、俊頼が応じた。

束並みの上に寝て黒津の里のように黒くなってしまったが、これを下に敷いた時の寝心地は他に及ぶものがない。


俊重が、黒津の里にいたので黒くなったと父親の俊頼の姿を見て歌にしたところ、俊頼は、束並みに「如くものはない」と「敷く」を見事に掛けて返している。


要は、黒津の里と顔の黒いことを掛けて詠じたもの。



黒津の里は、滋賀県大津市の南部、瀬田川と大戸川が合流する辺りにあった村。

古来、大戸川は氾濫を繰り返したため、現在の合流地点は下流の方に移動している。

かつての合流地点に明治時代に南郷洗堰が建設され、昭和になって瀬田川洗堰が建設された。琵琶湖の利水、治水を目的としている。






これが瀬田川洗堰




訪問したのは2024年2月。正月に琵琶湖の水位がマイナス78センチを記録し渇水対策本部を立ち上げていた。




堰堤と、左側が上流




上流方向




拡大写真
明治時代、この大日山をダイナマイトで爆破して瀬川の流路を広げたらしい




堰堤から下流方向
遠くに見える尖った山は笹間ヶ岳で歌枕
















このページ、分かりにくい内容になってしまいました






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