すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
東海道を小田原から東京方面に向かって歩いていくと、国府津をすぎた辺りから山が海に迫り、坂を上っていくと相模湾が一望できる。 現在、ここに車坂の史跡がある。 ![]() 案内板には車坂付近で詠まれた歌が掲載されている。 とても分かりやすい内容のため、そのまま転記する。 |
鳴神の声もしきりに車坂とどろかしふるゆふ立の空 | 太田道灌 |
戦国兵乱の世の和歌集に「平安紀行」があります。「平安紀行」の作者は、 太田道灌とする説と異説とする説がありますが、その前文に「車坂という里にてゆう立しきりに降りそいえば」とあり、この時に詠んだものです。 |
浜辺なる前川瀬を逝く水の早くも今日の暮れにけるかも | 源実朝 |
「吾妻鏡」建保元年の条に記録があり、源実朝が鎌倉を出て箱根、伊豆の二権現に参拝する際、前川まで来た時、正月でも洪水があったとみえ河を渡ることができず、日暮れまで待つ間に詠んだものです。 |
浦路行くこころぼそさを浪間より出でて知らする有明の月 | 北林禅尼(阿仏尼) |
「十六夜日記」は、阿仏尼が夫の逝後、先妻の子為氏と我が子為相との相続争いの訴訟のため、京を発ち鎌倉に下る紀行文です。その前文に酒匂に泊り、あす鎌倉へ入るとあり、この時に詠んだものです。 |
![]() 車坂史跡前の東海道の坂 ![]() 左、東海道に合流する地元の坂道 なにかの資料で、昔の東海道はこちらの道だと説明しているのを読んだことがある ![]() 源実朝の歌に登場する「前川」の地名もすぐ近くにあった ![]() 「前川」の地名の場所で川を探したが、見つけたのはこの小川 源実朝の歌では洪水で川を渡れなかった様子を詠んでいるが、どうも違うような気がする 経緯度は、35.283326, 139.222353 ![]() 相模湾を眺望 |