すさまじきもの ~歌枕探訪~


(くず)の松原(福島県桑折町)







現地の案内板

 桑折町指定文化財
 史跡名勝
 葛の松原碑
 昭和45年3月9日指定

奈良興福寺の学僧、権少僧徒覚英は、東大寺で具足戒を受け若くして権少僧となり将来を嘱望されていたが、保延3年(1137)旧8月夜半22歳の時発心し道を求めていずこともなく緒国行脚の旅に出立した。
いつの頃からか、陸奥国信夫郡葛の松原に鍚を留めこの地を仏法有縁の地と定め、行乞三昧に勤めていたが、保元2年(1157)2月17日甲の刻41歳を一期として入寂した。
覚英は関白藤原師通の4子、二条関白富家入道弟とあり、これらの事は西行選集抄第9巻末に、南都覚英僧都事として委記されている。
時移り、覚英入寂の約600年後、福島藩主板倉公重臣河原栄機は、退隠し江戸にあったが、ある日選集抄により、国元に覚英の事蹟有るを知りこの地を訪ね来た。境内に「葛の松原辻人の里二條関白家入道御弟覚英僧都入寂の旧蹟」の碑が風化しておりこの事蹟の絶えるを憂い、松原寺自明上人と相諮り覚英の徳操を讃え明和5年(1768)2月17日栄機72歳の年にこの碑を建立した。
碑文は江戸深川住の三井親和(1700~1782)の書による。親和の字は、孺卿、号は竜湖、万玉亭と称し江戸の書家として名高く篆書を能くし詩歌、武芸にも秀でていた。
碑には二つの和歌が刻されている。
 世の中の人には葛の松原と呼ばるる名こそ喜しかりけれ
 なき跡も名こそ朽せね世々かけて忍ぶむかしの葛の松原

又、栄機は和歌にも秀でた覚英を偲び、追善の歌を募り、和歌集1巻を編んでこれを手向けとして当寺に納めた。この和歌集には、38名の歌人の名と歌が連ねられ松平忠頼室を初め武家の女性11名の名も見える。これも町の文化財に指定されている。
 平成2年3月
 桑折町教育委員会




福島県桑折町は「こおり」と読む。
古代の律令制の行政単位の「郡」と何か関係あるのかな?

どっちでもいいのだが。



とにかく、かつて桑折町には広大な松原が広がっていたようで、その美しさから「葛の松原」と呼ばれ、名勝地となっていた。



【現在の様子】


史蹟となっている松原寺から南方向を望む。
東北自動車道、東北新幹線が通っていて、その向こうに阿武隈川が流れる。
往古は、阿武隈川のほとりに広大な松原があったのだろう。



松原寺
このあたりの住所は「松原」で、そのままの地名。










【葛の松原を詠んだ歌】

世の中の 人には葛の松原と 呼ばるる名こそ 嬉かりけり 僧都覚英(夫木和歌抄)
(再掲)


亡き跡も 名こそ朽ちせぬ 世をかけて 忍ぶ昔の 葛の松原 河原栄機
(再掲)


月日のみ ただいたずらに 送り来て 身の愚かさを 葛の松原 松平定信



くずの 身は死にもせず 夏寒し 正岡子規



人間の「クズ」を掛けた歌が多いようで、なんとも妙なものである。
せっかくの松原を前にしながら、身の愚かさを嘆いたり、逆に喜んでみたりと、イマイチどうもな~










滞在時間は1分でした





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