すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


鈎の陣所(滋賀県栗東市)




日本史を勉強してこなかったので全く何のことだか分からない。

応仁の乱の当時の歌のやり取りのようだ。

今回は軽く流そう。



父 八代将軍義政公へ
坂本の浜路を過てなみに住むとこたへよ 義尚
長享元年十月四日 義尚着陣の時

歌の中に「安養寺」が詠み込まれている




義政公の返歌
やがてはや國治まりて民も立ちそかへらん 義政
長享元年 都より

この歌にも「安養寺」がある




中納言入道宋世 義尚へ
かへりねと志賀の浦浪たたぬ日も君を都にまたぬ日はなし 中納言入道宋世
鈎へ陣かへ 霜月廿日




中納言へ義尚の返歌
思ひとけは浮世なり見しかの蜑の業もしつへき旅の日数を 義尚
霜月廿日陣所




陣中の歌会で義尚
三冬つきはるきにけらし乙女子か袖ふる山にかすみたな引 義尚
長享二年正月十五日





滋賀県栗東市の旧東海道沿いにある歌碑公園。
ここに上記の歌碑がずらっと並んでいる。
応仁の乱の最中にのんびりとした歌をやり取りしていたようだ。


「安養寺」はこの「鈎の陣所」から南西1キロメートルのところにある真言宗の寺院。なにか関係あるのだろう。






さらに、


土御門天皇より足利義尚将軍へ
君すめば人の心の鈎をもさこそはすぐに治めなすらめ 後土御門天皇
鈎の滞陣を慰める歌




後土御門天皇への返歌
人心鈎のさとぞ名のみせむ直なる君が代に伝へなば 義尚
長享元年十二月二日 義尚鈎の陣所にて




さらに二基の歌碑があって、天皇から陣中見舞いのよなものを送っている。

何度も言うが、日本史を勉強しなかったので、応仁の乱が誰と誰の戦いなのか分からないため、この歌を読んでみても全く意味不明。

とにかく、「義尚」の陣地がこの辺りにあり、それは「鈎の陣所」と呼ばれていたようだ。



「足利将軍 足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地」の石碑



歌碑公園の上には池があった。



歌碑公園の前を旧東海道が通る。









とりあえず登場人物のおさらい

義尚 ・・・ 足利義尚、室町幕府第9代将軍
義政 ・・・ 足利義政、室町幕府第8代将軍
中納言入道宋世 ・・・ 飛鳥井雅康、室町時代の歌人、法名:宋世
後土御門天皇 ・・・ 第103代天皇、在位1464年−1500年












よく分からない訪問でした






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