すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


真野(神戸市長田区)




古来「真野」は相当な歌枕の地であったようだ。

と言っても、歌枕の「真野」は各地にあったようで、頓阿の歌論書である『井蛙抄』では「真野」を次のように分類している。

真野の浦の淀の継橋は 摂州
真野のはぎほらは 大和
真野の浦まのの入江は  近江
真野の萱原は  陸奥

2016年夏現在、私は摂州、近江、陸奥の「真野」へ往訪したが、大和の「真野」は所在地不明で、よくわからない。


摂州の「真野」についても、いろんな形で詠まれている。
手元の資料で下記のごとく分類した。

真野の継橋 東尻池村の「真野の池」に架かっていた継橋
真野の里 尻池村 
真野の池 東尻池村の西にあり、広さ430畝 
真野の榛原 この辺りに榛木の原があったらしい
淀の継橋 真野の継橋の別名。駒ヶ林村にあったとも?
真野の浦 尻池村の南

要するに、現在の神戸市長田区真野町、尻池町は「真野」と呼ばれ、あたりに「真野の池」があって、そこには板を継いだ橋が架かっていて、周りは榛の木の原っぱが広がり、そこそこ風光明媚であったと。



ちょうど摂津名所図会の「駒ヶ林」の挿図に池が描かれている。
(早稲田大学図書館)





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= 「真野」の歌の紹介 =





【真野の榛原】

いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ 万葉集
白菅の真野の榛原 行くさ来さ 君こそ見らめ 真野の榛原 万葉集


摂津名所図会に「真野の榛原」の挿図があった

早稲田大学図書館





【真野の継橋】

ふみ見ても物思ふ身と成りにけるまのの継橋とだえのみして 相模(後拾遺集)
さても尚かよはでこそはたのまれめ絶えしといひしまののつぎ橋 藤原為子(続拾遺集)
あふことをとだえがちにも成り行けばふみだにかよへまののつぎはし 肥後(夫木和歌抄)





【淀の継橋】

真野の浦よどの継はしこころゆも思ふやいもが夢にし見ゆる 吹貫刀自(万葉集)
まのの浦淀のつぎ橋つぎもせずつらしと人を聞きわたるかな 続古今集
絶えねただみるめもしらぬまのの浦にわたすかひなき淀の継橋 藤原隆祐(夫木和歌抄)





【真野の里】

君がため真野の里人うちむれてとる若苗や万代の数 夫木和歌抄





【真野の池】

まのの池の小菅を笠にぬはずして人の化名(あだな)をたつべきものか 夫木和歌抄
まのの池の島づたひ行く雁がねや春はあしまの橋とみゆらん 後九條内大臣





【真野の浦】

わきも子が袖をたのみてまのの浦の小菅の笠をき捨てきにけり 続後撰集





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このように、往時は風流の勝地であった、現在の真野町に訪問した。



真野町の連続写真





天気が曇りだったせいもあるが、町の雰囲気がよくわかる写真である。
明治以来の開発、戦争、阪神大震災などで風景も大きく変わったようだ。











このページ、予想以上に時間と労力がかかりました。






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