すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


松虫(大阪市阿倍野区)




高校の同窓会が天王寺で開催された。
その前に時間があったので、チンチン電車で天王寺から二駅のところにある松虫に行ってきた。



チンチン電車松虫駅









やっぱりチンチン電車はいいね!









さて、「松虫」についてはいろいろな伝説があるので、どういう風に書いていこうかと思っていたところ、上手くまとめられた案内板があったので転記する。

松虫塚の伝説

 松虫塚には古来数々の伝説がありますが、この地が松虫(いまの鈴虫)の名所であったところから松虫の音にまつわる風流優雅な詩情あふれる次のような物語が伝承されています。

 二人の親友が月の光さわやかな夜麗しい松虫の音をめでながら道遙するうち虫の音に聞きほれた一人が草むらに分け入ったまま草のしとねに伏して死んでいたので残った友が泣く泣くここに埋葬したという。
  「古今集」松虫の音に友を偲び

秋の野に人まつ虫の声すなりわれかとゆきていざとむらわん

 後鳥羽上皇に仕えていた松虫と鈴虫の姉妹官女が法念上人の念仏宗に感銘して出家したが松虫の局が老後この地に来て草庵を結んで余生を送ったという。
  「芦今舟」藤原言因

経よみてそのあととふか松虫の塚のほとりにちりりんの声

才色兼備琴の名手といわれた美女がこの地に住んでいたが一夕秘技を尽した琴の音が松虫の自然の音に及ばないのを嘆き、次の詩を吟じて琴を捨てたという。
虫音喞々満荒野 闇醸恋情琴瑟抛
(虫声そくそく荒野に満つ、恋情を闇にかもして琴瑟を抛つ)

 松虫の名所であるこの地に次郎右衛門という人が住み松虫の音を愛好することすこぶる深く終生虫の音を友とし、老いてのち
尽きせじなめでたき心しるならばこけの下にもともや松虫
の辞世の歌を残して没したという。




道の向いの巨木があるところが「松虫塚」。
この道は「松虫通り」という。



写真中央の巨木があるところ。
手前左の居酒屋も気になるところ。昼からオープンしていて中でみんなが飲んでいた。



こんなかんじ。
歩道部分まで占めている。





上記「秋の野に人まつ虫〜」の歌碑




せまい敷地の中に数多の石碑が並べられていた。



周辺は一般的な市街地で、阿倍野にも近い便利なところ。
チンチン電車が見える。









能の演目に「松虫」がある。
これは上記の伝説のうち、男二人のうち一人が草むらに入っていって死んだエピソードがもとになっている。生き残った方の男がのちに酒屋にやってきて、死んだ男を偲ぶというもので、死んだ男の亡霊も登場し、翌朝に消えていくが、そのあと松虫の音ばかりが寂しく残るという内容。
愛し合う(?)男同士の交歓とともに、酒がテーマとなっている。

最後の部分
「すはや難波の鐘も明方の。あさまにもなりぬべき.さらばよ友人名残の袖を。招く尾花のほのかに見えし。跡絶えて。草ぼうぼうたる朝の原の。草ぼうぼうたる朝の原。虫の音ばかりや。残るらん。虫の音ばかりや。残るらん。」
















このあたりが鈴虫の名所だったとは想像できません。






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