すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


松浦(まつら)(佐賀県唐津市)





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関西に住んでいるのでよく分からないのが、基本的な疑問として、「松浦潟」や「松浦川」は唐津市にあって、松浦市ではないということ。九州旅行の前に訪問予定地のチェックをしていた時に気付いた。


行政区分は歴史的な経緯があるのだろうが、実にややこしい。


いったい魏志倭人伝の末蘆(まつろ)国はどこにあったのか?


まあ、各種の資料を参考にすると、末蘆国は現在の唐津市にあったことが有力視されていて、多分、そうだろう。


魏志倭人伝の末蘆国の項目
有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之
(家は4000余戸あり、山海に沿って住む。草木は盛んに茂り、前を行く人は見えない。魚やアワビを捕るのが得意で水深に関係なく皆が潜って採っている。)


現在では唐津湾の海岸線は名勝「虹の松原」の松林が見事に弧を描いているが、古代には砂洲があって、その内側は入江が広がっていたであろうから、末蘆国の人々は内湾の潟湖で魚介類を採って生活していたのだろう。


つまり、松浦潟という名の通り、入江の「潟」のことで、現在の外海の唐津湾とは厳密には別物だと思う。



この地図だと、真ん中の虹の松原の手前(下)に潟湖があった、はず。





現地案内板の絵地図





グーグルアースも載せておこう





地形的に興味があったので、唐津湾と松浦潟について述べたが、和歌の歌枕的には、そこまで松浦潟にこだわっている訳ではない。

「松浦」は「待つ」に通じるものとして、特に中国への出発地であったことから、唐土(もろこし/中国)へ渡った人が帰って来るのを「待つ」という感じで使われたり、佐用姫伝説で有名な鏡山からの眺望ではるか唐土まで続く海の情景を詠んだものなど、いろいろある。




こんな感じ




霞しく松浦の沖に漕ぎいでて唐土までの春を見るかな 慈円(新勅撰集)


たらちめやまだ松浦船今年も暮れぬ心づくしに 藤原定家(最勝四天王院和歌)


松浦潟もろこしかけて見わたせばさかひは八重の霞なりけり 後鳥羽院(風雅集)




「松浦宮物語」にも登場

けふよりや月日のいるをしたふべきまつらの宮にわがこまつとて 松浦宮物語

もろこしまつらの山もはるかにてひとりみやこにわれやながめむ 松浦宮物語



はるかなる壱岐は霞みて見えねども渚美くしこ乃松浦潟 昭和天皇


鏡山の展望台に歌碑













鏡山の展望台からの眺望


当たり前だが唐土は見えない。
壱岐は見えるのかな?



パノラマで撮影









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別ページの「領布振(ひれふり)の嶺」も見てください






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