すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


松山城跡(埼玉県吉見町)








戦国時代、武蔵国の松山城を守る上杉朝定勢と、攻める側の小田原北条氏との間で攻防戦があ
った。

歴史的なことは苦手なので余り深入りしない。


この戦いの中、上杉朝定方の灘波田憲重(松山城城代)と北条氏綱方の山中主膳が交わした歌のやり取りが松山城風流合戦として伝わっている。


難波田憲重は松山城から打って出て北条勢を撃退し城へ戻ろうとした時、攻撃側の山中主膳が歌を詠みあげた。


あしからじ よかれとてこそ 戦はめ なにか難波田(なばた)の 浦崩れ行く 山中主膳


山中主膳は逃げる灘波田憲重に、どうして逃げるのだと挑発した。


それに対し灘波田憲重は、


君おきて あだし心を 我もたば 末の松山 波もこえなん 難波田憲重


古今集の有名な「末の松山」の歌を詠んで、主君である上杉朝定への忠誠を示し、無駄な戦いはしないと返している。


みちのくの「末の松山」を浪がこえることはあり得ない、浮気はしない、という平安時代の恋の表現を巧みに使っている。


攻防戦のさなか、実に風流で教養のある戦国武士のエピソードである。








■ 現地訪問







写真を撮ってきた。@〜C

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城跡マニアは、城郭跡へ分け入って、空堀や曲輪などの跡を確認するらしいが、それはそれで楽しいだろう。












岩手県の一首坂にも同じようなエピソードがあります





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