すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


回看塚(みかえりづか)(山梨県甲斐市)






春かすみたちいづれども幾度か あとをかへして三日月の空 武田勝頼夫人



武田一族の滅亡に際しては、当事者たちが悲嘆の歌を詠み残している。
戦いに負けて敗走し追い詰められていくのだから、大変だったに違いないが、そんな状況でよく歌を詠めたものだと感心してしまう。
それら詠嘆の地は幾星霜を経て史跡として整備されている。
え〜と、そんな史跡を車で巡るような趣味にいささか残虐性を感じる。







現地の説明板を転記する

市指定文化財

回看塚(みかえりづか)

天正十年(一五八二)三月二日、武田軍の信州高遠城は織田軍の猛攻撃により落城した。翌三日早朝、この報を受けた武田勝頼は在城わずか六十八日の新府韮崎城に火を放ち、夫人や子供、わずかな将兵を従えて郡内の岩殿城に向かって逃れた。
言い伝えによると、新府を離れ、塩川を渡り、この地を通り掛ったときに、後ろを振り返り、煙の上がる新府を見て勝頼夫人は

  春がすみ たちいづれども いくたびか 
    あとをかへして 三日月の空


と詠み悲しんだという。
この碑は大正十二年九月に、塩崎村の有志によって建立されたものである。
昭和六十一年十一月二十六日に町の文化財に指定された。

平成八年十月   甲斐市教育委員会







つい500メートルほど手前の「涙の森」という場所でも火の手が上がる新府を眺めて悲痛な歌を詠んでいる。ちょっと近すぎるような気がするが、それだけ凄惨な状況だったのだろう。



■ 現地訪問


こんな感じの史跡。



この石碑は大正年間に建立




Big Mistake
ここから新府の方向を写真で撮っておこうと思って撮った写真。
逆方向だった。


Google ストリートビュー
向こうの森の方向が新府。
火の手が盛んに上がっていたのだろう。



























こんな田舎道ですが、車が多く、しかも猛スピードで飛ばしていて、危険でした。





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