すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


みかの原(京都府木津川市)




漢字では「瓶原」と、一般的に書く。

恭仁京を含む泉川(現在の木津川)沿いの平地のこと。

大昔は木津川の氾濫原だったのだろう。



この地図の右上の山手から左下の方向を写した写真
   
 普通の田舎の光景であるが、
 @奥の山が歌枕で有名な「鹿背山」で、
 Aこの畑が昔の恭仁の都の跡で、
 Bそしてこの平地一帯がこれまた歌枕の「みかの原」だと知ったら、
 この写真も正に、かたじけなさに涙がこぼれるばかりに感じてしまう。










 まあ、それはともかくとして、この「みかの原」にまつわる歌を紹介する。


 先ずは万葉集、

みかの原布当の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも 万葉集
 みかの原の布当の野が清々しかったからここを都としたのだろう  
 ※ 布当(ふたぎ)の野 ・・・ 恭仁京の辺りのこと


 新都建設の祝い歌である。ところがいきなり急展開する。


みかの原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば 万葉集
 みかの原の恭仁の都は荒れてしまった。都の人たちが去っていったので 



建都して数年で恭仁京は廃せられる。



その後、古今集のこの歌ぐらいから、歌題が変わっていった。

都いでて今日みかの原いづみ川かは風さむしかせ山 古今集
都を出たから今日で三日目でみかの原に着いた。
泉川の川風が寒いので鹿背山よ衣を貸してくれ。 


 木津川(泉川)の南岸にある「鹿背山」も登場。
 「みかの原」と「三日」、「鹿背山」と「貸せ」を掛けている。
 この頃から「旅の歌」が多く詠まれるようになった。


みかの原くにの都の山越えて 昔や遠きさを鹿の声 藤原定家(夫木抄)





 引き続き日付のダジャレも詠まれている


長月の十日あまりのみかの原川波きよくやどる月影 藤原家隆

数ふれば明日は五月三日の原今日まづ奈良の都いでつゝ 一条兼良




そうそう、恋の歌もあった。
しかも百人一首に入集!


みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ 藤原兼輔(百人一首)


「みかの原わきて流るる泉川」までが「いつ見き〜」を導く序詞。同音反復でリズムをとっている。

素晴らしい!







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いやはや感動のうちにこのページの作成も終了しました






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