すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


美濃中道(なかみち)(岐阜県養老町)






あづま路の美濃の中道たへしより我身に秋のくるとしりにき 曽根好忠



「木曽路名所図絵」で次のような記載があった。

美濃中道
関ヶ原駅中より牧田(まきだ)へ行く道なり



この記述から、『美濃の中道』とは中山道を関ヶ原宿から南に分岐して牧田宿へ向かう九里半街道の古称だと理解していた。

ところが各種の資料やホームページを読み進めていくと、「美濃の中道」は養老町を東西に通過する道で、平安時代に存在し、室町時代に消滅した、との説が有力であった。

この歌の詠み手の曽根好忠は平安時代の歌人なので、時代的には符合する。

養老町教育委員会が管理する『タギゾウ君の養老ノート』というホームページには、「美濃の中道」は「山家道」と名称が変更されたとし、山家道の写真が掲載されている。
美濃の中道




ホームページのスクショ



『タギゾウ君の養老ノート』









■ 現地訪問

地元の教育委員会の情報は確かだと信じ、ホームページに掲載されていた養老町橋爪の該当地へ行ってみた。


ここが「美濃の中道」
石碑が目印



石碑の場所から背後の風景



上記の石碑の向かい側に「芭蕉句碑ミニ公園」という小さな公園と芭蕉句碑があった。


杜鵑(ほととぎす)声横たふや水の上 松尾芭蕉


芭蕉が、猶子桃印を病気で亡くしたときの句















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